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ICU3日目 [葉が闘った日々]

2004年9月29日
ICU3日目

「シュー」「トン」「シュー」「トン」
血液中のガスが溜まってきているため
酸素の量を39から30に下げました。

夜中体温が高くなり頭を冷やしたため
足も冷たくなっていたので今度は電気毛布で温めていました。
さすってマッサージをします。

医師からの説明がありました。

1.カリウム
 血液中にはカリウムという肝不全に伴って上昇する電解質がある。
 それが徐々に上昇していている。
 このまま上昇をし続けると心臓が停止する危険性もある。
 これを避けるには血液透析あるいは腹膜透析という方法がある。が。
 血液透析は葉の心臓の動きが弱まっているので命の危険性が高い。
 腹膜透析は葉の腸管の壊死が激しいためかなり危険が伴う。
 したがって現在使用している利尿剤で様子を見るしかない。

2.炎症
 腸壊死に伴い腸から感染が波及しているものと思われる。
 現在抗生剤を使用して炎症を食い止めているが徐々に広がっている、

3.腸からのたんぱく漏出に関して
 腸の壊死に伴い血液中のタンパクが失われ
 補充してもなかなか改善の兆しが認められない。
 そのため全身がむくみ、心臓や肺に水が溜まってきている。
 腸のダメージはひどく機能は全く無くなっている。

4.心臓
 水が溜まっているが抜ける程の量ではない。
 心筋の動きが悪く心筋炎の可能性が考えれられる。
 ウイルスが原因であると考えた場合、
 脳にダメージを与えたウイルスと同一のものである可能性はあり得る。

5.脳神経に関して
 現在のところ改善の兆しは認められない。
 小児には脳死判定の基準は確立していないので
 脳死と断定することは出来ない。
 ただ大人の基準を用いれば限りなく脳死に近い状態である。

13時
体内からカルシウムが減少してきたためカルシウム投与。

尿はがんばって出ていました。
前日のママとのお約束ちゃんと守っているね。

足の指は朝方よりも堅くなっていません。
少し発汗して湿っぽい。

dada(夫)との喧嘩が多くなりました。
葉が処方されたものではない姪の薬を飲ませたこと。
ICUにベースギターなんかを持ち込んだこと。

13時25分
お顔を拭いてもらいお口をイソジンで消毒。
目には乾燥しないようにチューブの目薬を塗ってもらいます。

15時
控え室でじいやんと上の妹と雑談しました。
意味のないことを沢山話したかもしれません。
でもみんな気持ちを汲んでくれていたと思います。

15時50分
主治医の板澤先生からレントゲンの結果の説明を受けました。
葉の心臓が大きく写っていました。
肺に細かく水が溜まっているのがわかります。
お腹が大きくふくらみ、多くの水が溜まってきています。
心臓の動きも悪化。

板澤先生は若い女医さんでした。
その後しばらく私の仕事の話や
葉の元気な頃の写真を見せて雑談をさせてもらいました。
意識のない寝てばっかりの葉しか知らない先生たち。
元気な姿を見て知って欲しかったのです。
彼らにあきらめて欲しくなかったのです。

インフルエンザ、ロタウイルスも陰性。
他のウイルスに関しては日本衛生研究所に提出。
結果診断には1ヶ月ほどかかるということでした。

板澤先生から私たち両親の健康状態など詳細についての質問がありました。
葉が直前に飲んだ風邪薬は
メイアクト、ホクナリン、ムコダイン、
アスベリン、テルギンG
前日葉と同じ咳をしていた姪にこの薬を処方したのは稲場先生でした。
あの葉と共に救急車に飛び乗ってくださった先生です。
彼はもともとここの大学病院の教授で
最初に運ばれた病院の担当医上勢先生や
ここの小児科の医師たちの元上司だったと知らされました。
dadaと喧嘩になっていた薬の件ですが
全く問題ない種類と量であったと言われました。
ベースの件も心配ないと言われました。

22時30分
カリウムの数値が5.3に上昇。
危険な数値は6.0以上なのだそうです。


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ICU4日目 [葉が闘った日々]

2004年9月30日
ICU4日目

6時50分
葉におはようチュッの挨拶をしました。

心拍数高い。
心臓が弱ってきています。
体温も高い。
尿はママとのお約束を一生懸命守って20mlほど出しています。
エライよ。がんばっているよ。

左手もむくんでいるのでマッサージ。
ちゃんとdadaからもらった新しい赤ブーブをもっています。

短かった髪がこの数日で目に見えるほど伸び
地肌が隠れてきています。

「いつも見ているTVを見せてあげてください」
看護師さんに言われてNHK教育テレビをつけてもらいました。

ちょうど【からだであそぼ】の時間。
陸上の高野コーチが先生です。
ヨウヨ、ピックの400Mの選手だよ。
ママのヒーローだったんだよ。
もともと走るのが大好きで
おともだちが飽きたり疲れたりしても
ずっとはぁはぁ言いながら笑って走っている葉だったけど
元気になったら
ママがもっともっと速くなる走り方をいっぱい教えてあげるよ。

尿はがんばっているけれど
本当は30mlは出て欲しいとのこと。
ヨウヨ、がんばれ!フレフレ!ヨウヨ!

8時55分
おでこに触ると熱い。
37度。お熱が高い。
感染が起きないように頭と背中を冷やします。

9時
尿は20ml。顔手足共にまた少しむくんでいます。

10時50分
席を外している間にカリウム値5.7。
危険な数値は6.0以上。
カリウム値を下げる薬を投与。

14時
身体を石鹸で洗い頭はリンスインシャンプーで洗ってもらいました。
dadaも手伝います。
25日以来初めてです。
今まではこうして身体を動かすことも出来ない状態だったのだそうです。
サッパリしたね。
よかったね。

15時
毎日ママとdadaのためにお弁当を作ってきてくれるばあやん。
私は食べられないんのだけど
作ってもってくることで精神の安定を保っている母の前では
「作らなくていい」とは言えません。

初めてばあやんがICUまで入ってきてくれました。
今まで葉のこんな姿が見られなくて入れなかったんだって。
ママが無理に頼んで会いに来てもらったよ。
よかったね。ヨウヨ。

15時30分
看護師さんに教えてもらい
車で少し行ったところのお風呂屋さんにdadaと行ってきました。
3日ぶりにサッパリしましたが
浴室に5歳くらいの丸坊主の男の子が入ってきたため
まるで逃げるように出てきました。

19時
カリウム値5.9
生命に危険が及ぶカリウムの最大値は6.5
全てのお薬をカリウム抜きのものに変更。

22時50分
尿の量が極端に減少。

レントゲン撮影の結果
肺全体に前回よりも水が溜まってきている可能性が大。
肺の外にも溜まっている場合は
脇から吸い出す方法もあるようですが
横からのレントゲンの結果ではそれは見られませんでした。

ICUにいるのは葉だけではありません。
ずっとうなって苦しんでいる年配の男性。
葉より少し大きいお兄ちゃん。
彼はちゃんとご飯も食べていたようです。
(実際は見ていませんが気配や食器の音でそう感じました)
でも、しばらくするとみんないくらか回復して普通の病棟に移っていきました。
ずっと家族部屋に寝泊まりしているのは私たちだけです。
葉、がんばれ。
早く元気になってお家へ帰ろう。
葉なら奇跡も起こせるって!


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ICU5日目 [葉が闘った日々]

2004年10月1日
ICU5日目

5時
dada(夫)は起床し身支度をして葉の側へ。

私は6時近くにやっと身体を起こします。
心と記憶と想像力。
全てをシャットアウトしないと
葉の足音、笑顔、声が
心を突き刺して起きあがれません。
窓とブラインドを上げ外の空気を入れます。
控え室の正面は大学のグランド。
小さな白い月が見え、空がすがすがしく美しい。
葉に見せたくて写真を撮りました。
「きれいねぇ」のひと言が聞きたくて。

6時10分
「おはよう、葉」
寝ている葉に声をかけます。
血圧、心拍数共に上がっています。
酸素濃度は80。
昨夜の倍です。

身体の向きは2時間ごとに変えてもらっているのですが
身体に水が溜まっているのがよくわかるそうです。
水が肺にも多く溜まってきているので
酸素をなかなか取り入れることが出来なくなっているのです。

足とおでこに触れるとあったかい。
とても危険な状態にあると言われているらしい。
何を書き留めておこう。
息が苦しくなってくる。
葉、ママ大丈夫かなぁ。
これから大丈夫かなぁ。
メモ帳に葉の好きなものを思いつくまま書き出してみる。

7時25分
お顔を拭いてもらいます。
お目々を綺麗にして目薬。
オムツの中は水溶性の緑がかかった黒いウンチ。
「海苔みたい」とdadaが言いました。

10時20分
カリウム値6.3
身体を横にしたり動かせない状態だと言われます。

聴診器で心臓と呼吸音を聞きました。
心臓はトクトクトクトク。
呼吸音はプールの中を泳ぐ小さなダースヴェーダー。

13時
私には社会人になったときからお世話になっている
ご夫婦とそのお嬢さんがいます。
私に仕事が入ったときや腱鞘炎の通院で困ったとき
葉を喜んで預かってくれていました。
その血の繋がっていない若いジイジとお姉ちゃんが
わざわざ飛行機に乗って葉に会いに来てくれました。
葉の大好きなプリンを持ってきてくれたよ。

14時5分
身体を拭いてもらいました。
目の下にあざができていましたが
それは毛細血管が切れた可能性が高いと言われました。
実家に来てから虫に刺されたあとが
異常に紫色に腫れていたのが気になっていました。
入院してからも身体のあちこちが
紫色のあざができています。

酸素は100%。
これ以上はもう増やせません。

15時40分
一時期血圧が30迄下がります。
血圧を上げるお薬を投与。

レントゲンの結果
肺が殆ど薄く真っ白になってきていました。
水が全体に溜まってきています。

16時
大きめの緑がかかった黒いウンチ。
おしりを持ち上げるたびに流れ出ます。

16時10分
カリウム値に変化なし6.3
呼吸する力低下
酸素を取り入れる力低下
二酸化炭素が溜まってきています
血圧低下

19時
少量のウンチ
今出ているののは血液の固まったものだと教えられました。

葉、がんばっているね。
ありがとうね。
ヨウヨえらいよ。
すごーいピックの選手だよ。
もういいと思ったら、ピカピカ賞(※)になってもいいよ。
ママ、がんばって大丈夫でいるから。
ヨウヨに負けないから。

20時
血圧がどんどん低くなってきているため
濃度の濃い昇圧剤に変える。

20時30分
医師より説明あり

・脳波
  反応なし、
・脳
  ほぼ絶望的。
・肝機能は少しずつ良くなっている。
  体中のタンパク少し良くなっている。
・心臓
  動きが良くならない。
  水分を抽出できれば良くなる可能性あり。
  心筋症と同じ状態で肺も悪くなってきている。
  心臓の動きが良くならない限り肺水腫の回復は見込めない。
  これ以上進行を食い止められない。
  現在心臓の動きをよくする薬を通常の2倍使用している。
  これ以上使用すると不整脈で心臓を止めてしまう。
・腎臓
  だんだん悪くなってきている。
  カリウム7.0以上になるといつ心臓が止まってもおかしくない。
  カリウム8.0以上になると心臓は止まる。
・強心剤は慣れてくると副作用が出てくるので減らした方がよい。
・利尿剤が効いていないが増やしても意味がなく副作用が出る。
  (本来50mgも使用しないところを100mg使用)数値を下げる。
・血液製剤、血小板は心臓にすごく負担をかけている。

今後不整脈が起こりうると思うがいつ起こるかわからない。

お話の結果
2歳の子どもはおろか
大人の許容量を超えているというお薬の量を
少しずつ減らしてもらうことにしました。
そこまで耐えている葉。
「立派だよ」
心から褒めてあげました。
でもこれ以上葉を苦しめるお薬をあげるのはあまりにもかわいそうに思えました。

※ピカピカ賞
妹の娘たちは小食でした。
ちっとも食べないのでがんばって食べたら
ピカピカ賞をあげると言っていつもなだめすかして食べさせていました。
葉は何も言わなくても毎回ピカピカ賞の王様でした。
ピカピカ賞はイコール金メダルのチャンピオン、ゴールインという意味です。


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ICU6日目 [葉が闘った日々]

2004年10月2日
ICU6日目

夜中2時40分
インターホンで呼び出されました。

心拍数78
血圧21/18
酸素量89
呼吸数40
体温36.9

血圧が低下
脈、呼吸数の低下
警告音が鳴り響いています。

身体がこわばり
震えがくるのがわかります。

「お母さん抱っこしますか?」
主治医の板澤先生の問いに「はい」と答えます。
静かに抱き起こし、
葉を抱っこさせてもらう。
管がいっぱいです。
重い。
こんなに重かったっけ。
抱っこしているうちに腕が痺れ
支えきれなくなります。
そんな自分に罪悪感を感じました。
葉がこんなときに腕が痺れて抱き続けてあげられないなんて!
途中dada(夫)に代わってもらい、
2人で代わる代わる抱っこしました。

6日前の26日夕方
「ママ、抱っこ」
そう言って一度も目を開けてくれない葉。

2004年10月2日
午前3時31分
2歳5ヶ月30日
ウイルス性脳炎による急性脳症
世界で1番大切な葉は
ママの腕の中でピカピカ賞をもらって旅立っていきました。


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10月2日 [葉が闘った日々]

この2週間
葉が息を引き取るまでの日々を日を追って書いてきました。
書きながらまだ葉が助かる可能性を持ってるような気持ちになることがありました。

ここで一区切りをつけようかと思いましたが
あの日の私たちには、まだやらなければいけないことが残されていました。
葬儀です。
我が子の喪主になることなどそうそうないと思います。
家族を亡くした後の残された仕事。
我が家のケースを書き残しておきます。

2004年10月2日

病院で息を引き取ったあと
いくつかの書類が用意されました。
解剖についても打診されました。
「しません!」
dadaは即答でした。
私は「原因」は知りたいと思っていました。
あんなに元気だったのになぜ。
「どこを診ることになるのですか?」
「あたまです」
葉のかわいい顔を
チャームポイントのおでこを傷つけることはさすがにできませんでした。

葉の身支度を病院側におまかせし
朝8時頃
私の家族、病院の先生方看護師の方に見送られて
dadaの白ブーブで自宅に向かって出発しました。
先生方が玄関の外まで出て深く深く頭を下げて見送ってくださった姿が
今でも目に焼き付いています。

天気は快晴です。
高速道路から見える景色はきっと美しかったでしょう。
でもとにかく光が当たらないように!
あたたまらないように!
両手を組んで眠っている葉を必死で守るようにして後部座席に座っていました。
7〜8時間のドライブ。
普通なら非常に長く感じる時間があっという間でした。

13時40分
自宅到着です。

近所のママたちが待っていてくれました。
その顔を見たとたん不覚にも私は地べたにへたり込んでしまいました。

家に入り急いで葉が休める場所を用意します。
快晴で比較的暖かいといっても10月です。
それでも部屋を冷房でガンガンに冷やしました。
設定は24度。

上の妹が飛行機で追いかけてきてくれました。
彼女は葉が倒れたのは自分のせいだと思いこんでいました。
風邪を引いている娘を連れて実家に行ったからだと。
そうではないと説明しましたが
責任を感じているのか真っ先に飛んできてくれました。

近所からはコーヒーやお菓子、お茶など
様々なものが差し入れとして持ち込まれます。
「自分が逆の立場だったらこんなに気が利くだろうか」
考えさせられました。
ありがたいと思いました。

さて、ここでいきなりつまずきました。
葬儀の用意。
どうしたらいいのかわかりません。
dadaは近くで見かけた斎場をのぞきに行きますが
どうもあまり思わしくない様子。
ちょうど私は葉が亡くなったことを取りあえず仕事関係者に報告していました。
そのとき、ある会社の社長がうちの近所に知り合いがいることを思い出し
一件の葬儀屋さんを紹介してくれました。
その時初めて斎場の決定が先ではなく
葬儀屋さんを決めてからすべての細かいことをお任せするものなのだと知りました。

夕方遅くになって担当者が打合せに来てくれました。
千葉さんという男性です。
小さい子は宗教をもたないので
最近は無宗教でやることが多いとのこと。
またお墓をもっていない場合も
無宗教で葬儀をしておけば
あとで宗派でもめることがなく安心なのだそうです。
私たち夫婦は迷わずそうしてもらうことにしました。
(後で私の父が反対して大変もめることになるのですが....)
また、小さい子の場合
別れをもつ時間が少しでもあった方がいいということで
お通夜までを1日あけることが多いというアドバイスも受けました。
それも従うことにしました。

想う会(通夜にあたります)は4日。
お別れ会(告別式にあたります)は5日。
どこの斎場にするか。
どのくらいの人数が集まるのか。
さっぱり見当もつきませんがなんとか式場だけは押さえました。

ひととおり軽い打合せの後
膨大なドライアイスが持ち込まれました。
大好きなトイストーリーのバズのオムツに履き替えます。
病院のガウンを着てきた葉を
ばあやんが縫ってくれたお着物に着せ替えました。

今年の正月にはちょうどだった丈。
それが短すぎることにすぐ気がつきました。
妹と一緒に上げてあった仕付けをすべてほどきます。
「10ヶ月でこんなに大きくなっていたんだ!」
あらためてポロポロ涙が出てきました。
妹が一緒でなかったら上手に着付けてあげられなかったかもしれません。

一通り仕度が済み千葉さんが帰ってすぐ
葉に異変が起きていることに気付きました。
顔の色が変わってきているのです。
さっきまでただ眠っているようにきれいな顔だったのに。
急いで担当者に電話をかけます。
「戻ってきてください!」

葉の死因を話すと千葉さんは静かにおっしゃいました。
「内蔵を病まれている方の場合や
 点滴を長く受けていた方の場合は急変することがあります。」
「何とかならないんですか?」
「お身体はあとはもう腐ってしまうだけですから」
「え?腐るんですか?」
このときの私は気が狂う一歩手前だったかもしれません。
生き物は生涯を閉じれば朽ちていきます。
でもそれが葉におきているなど
このときでさえ私にはまだ理解できていなかったのです。

早く葉が変わらないうちに何とかしなくっちゃ!
私は半狂乱でした。
打合せのやり直しです。
想う会、お別れ会を前倒しにしてもらいました。
想う会の会場はもう埋まってしまって取れません。
急遽自宅でやることになりました。
お別れ会の会場は同じところが取れましたが
一足違いでお部屋がだいぶ小さいところになってしまいました。
仕方ありません。
葉はまだ2歳だし、それほど多くの参列者はいないかもしれません。

お顔の色の変化を隠すため
千葉さんにファンデーションを塗ってもらいます。
本当はそのようなことは彼の仕事ではなかったかもしれません。
でも黙って手伝って下さいました。

葉の身体からはドライアイスをすべて数センチ離しました。
少し和らげた部屋の冷房をまた強くします。

次に親戚や知り合いにスケジュールの変更の連絡を入れます。
ここにきて父親が電話口で無宗教で葬儀をやることに異議を唱え始めました。
必死で説得に回ります。
しかし、いいかげん私も精神のバランスがギリギリのところまできていました。
正直それらの細かいことなどどうでもいいと思っていました。
ここに元気な頃とは見る影もない葉がいるのです。
この子を楽にさせてあげたい。
きれいなままで送ってあげたい。
今考えると不思議ですが、
そのときもまだ私の中では葉は生きていたのです。
「まだ変化している途中」=「楽になっていない」だったのです。
ICUの中で過ごしている感覚とあまり変わりなかったのかもしれません。

父はまだ納得していません。
取りあえず翌日1番でこちらへ来ることになりました。
親の意見も尊重したいけれど
葉にとって1番いい選択をして進めたい。
では、何をどう決断したらいいのか、何が1番いいことなのか
頭が真っ白で何も考えられなくなっていました。
とうとう叫びとも嗚咽ともいえないような唸り声と共に
身体ごと部屋の隅に崩れていきました。
自分の意志とは関係なく涙が止まりません。
「ヨウヨ、よう、葉!」
一晩中ずっと葉の名前を呼んでそばを離れられませんでした。

10月2日
昨日飛行機で駆けつけてくれたお姉ちゃんの誕生日です。
葉をとっても可愛がってくれた麻貴お姉ちゃん。
私が葉のお嫁さんにしたかったくらい素敵なお嬢さんです。

そして
葉が生まれたときから
よく遊びに来てくれていたsolaお姉さんの結婚式の日。

いろんな人の忘れられない日でした。


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想う会 [葉が闘った日々]

2004年10月3日

雨です。
昨日とはうってかわって冷たい雨が朝から降る日でした。

葬儀のお知らせをdadaは事務所に
私はいくつかのグループごとに分けて各々仲間にお願いしました。

ふと一輪のお花も葉に用意していないことに気付きました。
ちょうどそのとき
昔の仕事仲間が白い花かごをもって駆けつけてくれました。
彼は少し前にお父様を亡くされた経験を持っています。
これから決めていかなければいけない事柄について
しばらくお話を聞かせてもらいました。

次々と来客者が増えます。
入院中大阪からお見舞いにきてくれた親友が真っ先に手伝いに来てくれました。
家族で折っていたという千羽鶴を持ってきてくれました。
別の仕事仲間Tさんも車で駆けつけてくれました。
お言葉に甘えて両親を迎えに行ってもらいます。
dada方のおばあちゃんと義妹もやってきます。

お昼すぎ昨日の葬儀担当の千葉さんが打合せにいらっしゃいました。
葉はお布団から棺の中に入ります。

さて、本格的な打合せが始まりました。
父はまだ無宗教で葬儀をすることに賛成ではありません。
千葉さんや友人や妹が父親に助言してくれます。
無責任のようですが
あのときの私にはそれ以上この話題に付き合うには
精神的に限界を感じていました。
ついに私はさじを投げる作戦に出ていました。
夫に任せる!
さすがに父も諦めたのか黙って見守る形になってくれました。

さじを投げて.....はみたものの
しばらくして千葉さんとdadaの打合せ状況をのぞいてみると...
「........!」
何も決まっていません。

志の品、お弁当の注文、霊柩車の種類、遺影の選択
想う会(通夜)の段取り、お別れ会(告別式)の段取り。
どんどん決めなくてはいけないことが山積みです。
「想う会」まではもう時間がありません。
友人の意見に助けられながらぱっぱっと決めていきます。

翌日の「送る会」については大きな壁にぶち当たっていました。
最初は......
専門の司会者に葉のエピソードをお話ししてもらいながら
進めていけばいいと思っていたのです。
が、
その専任の司会者なる人物が「存在しない」ということが判明したのでした。
「どうしよう」
無宗教での葬儀は儀式的な制約がない分
すべてを自分たちで構成していかなくてはなりません。

会場が狭くなったためおそらく列席者全員は入れません。
隣接した控え室で元気な葉に会って頂けるよう
私の仕事仲間TさんにDVテープを編集してDVDに焼いてもらう依頼をしました。
これがあればdadaの仕事関係者
つまりあまり葉を知らない方がいらしても
どんなに元気な子だったかがわかってもらえるはずです。
こんな時間的に無茶なお願いを引き受けてくれたTさん。
申し訳ない!と思いつつ......
本当に彼には今でも心から感謝しています。

さて
その他の作業としては........
大まかな式次第だけを打ち出して
詳細は夜中に考えることにしました。

この打合せの最中、
「想う会」にも「お別れ会」にも顔を出せないという方々が
わざわざ時間の合間をぬって駆けつけてくださいます。
お花もどんどん届きます。
狭い家の中が本当にひっくり返ったような状態でした。

夕方になり、献花、台帳、受付台など
「想う会」に必要な品々が運び込まれ
本格的な準備が整いました。

千葉さんの案内により「想う会」が始まりました。
ひとりひとり私たち夫婦と言葉を交わし、
葉に白いカーネーションの献花をして下さいます。
外は冷たい雨でした。
後で聞いた話によると
寒い雨の中を本当に多くの方が
長い列を作りながら順番を待ってくださったのだそうです。

私は葉を直接知っている人だけにお知らせを限定しましたが
dadaは連絡が付く限り広く皆さんにお知らせしていました。
音楽関係者が多数来てくださいました。

無宗教、そして自宅での「想う会」にしてよかったことは
集まってくださったひとりひとりと
お顔を見てじっくり声を掛け合うことができたこと。
そして葉とゆっくり一緒にいられることです。
あんなに難色を示していた父に
「よかった」と言ってもらえホッとしました。
家が狭いため皆さんにくつろいでいただけなかったのは残念ですが、
自宅だったことで
当初の予定時間がかなりオーバーしても気にすることなく
いつまでも語り合うことができました。
次から次へ夜中過ぎまで弔問客は途絶えませんでした。

さて午前2時過ぎ。
これから翌日の原稿を書かなければいけません。
dadaは演奏する曲の譜面を作り出しました。
この夜が葉と3人で一緒にいられる最後の夜でした。


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お別れ会 [葉が闘った日々]

2004年10月4日

この日も朝から冷たい雨でした。
朝早くに斎場まで葉を移動する車が到着します。
dadaと私も現地へ急ぎます。

現場ではお花屋さんがてんてこ舞いでした。
予想以上に葬儀花の申し込みをいただいたようです。
しかもギリギリになって駆け込みの電話が多く入っているらしく
芳名板が1台では足りなくなりました。
お花屋さんは半ば怒りながら作業していたように感じました。

この芳名板の順番も大変です。
葉を直接知っている方を優先したいと思いました。
なのでdadaより私の仕事関係者を先に並べてもらいました。
指示をしながら
そんな社会常識を気にしている自分がなんだか不思議でした。
いのちの存在の大きさや重大さに比べれば
こんなこと何の意味もないのに..........。

葬儀中に流す音楽の用意。
これは10月2日に結婚した友人が
4年前、私たち夫婦の結婚祝いにプレゼントしてくれた
モーツァルトのCDを選びました。

Mozart: Ave verum corpus; Exsultate jubilate; Great Mass in C minor

Mozart: Ave verum corpus; Exsultate jubilate; Great Mass in C minor

  • アーティスト: Cornelius Hauptmann, Wolfgang Amadeus Mozart, Leonard Bernstein, Frederica Von Stade, Bayerischen Rundfunkorchester und chor, Friedemann Winklhofer, Arleen Augér, Frank Lopardo
  • 出版社/メーカー: Deutsche Grammophon
  • 発売日: 1992/05/12
  • メディア: CD

dadaは仕事仲間に譜面を渡して
セッティング、音源ck、リハーサルをしています。

私の方は控え室で葉の生前のDVD映像を見られるよう
仲間にセットしてもらいます。
彼は時間ギリギリまで編集作業をして駆けつけてくれました。
デッキまで持参で......。

さて、自分たちが考えた式次第を千葉さんに説明し最終打合せをが始まりました。

会場の写真を撮りました。
息子の葬儀に母親が写真を撮っている姿は珍しいかもしれません。
でも誰にも任せたくはなかった。
葉の写真の殆どは私が撮っています。
最後まで撮っていたかった。

妹にアドバイスされて
葉と私の左薬指の爪にダークパープルのマニキュアを塗りました。
いつまでも離れないように。

葬儀が始まりました。
1.開会の辞
2.dadaの挨拶
3.dadaの演奏
 入院中ICUの中で作った曲を友人でアメリカ人のサックスプレーヤーとduoで演奏しました。
4.ママの言葉
 葉がどんな子だったかを母親の視点でお話しさせてもらいました。
5.弔電披露
6.献花 
 列席者全員と言葉を交わすことができました。
7.dada謝辞
8.閉会の辞
9.最後の対面
 花や愛用の品を入れ列席者全員と最後の対面をしました。
 小さいのですぐお花で棺はいっぱいになりました。
 愛用の品としては3人で写した写真とテディを入れてあげました。
10.出棺

会場は急遽、日にちをずらしたため狭いお部屋でした。
しかし予想を遙かに超える列席者でいっぱいでした。
予備に用意した控え室もいっぱいで
外の雨の中をずっと立っていた方もいらしたようです。
出棺の時も皆さんが傘もささずに見送って下さる姿を目にしたときは
本当に本当に頭が下がりました。

火葬時に
「小さい子どもの場合は火力が強いので時間も早く骨が残らない場合がある」
というひと言を受けました。
時間は確かに早く終わりました。
でも骨は思ったよりしっかり残っていました。
やっぱり丈夫な子だったのだと思いました。

妹に後で聞いたのですが
このとき千葉さんが涙を流されていたそうです。
葬儀担当者の方が涙を流すなんて.......?
実は彼の息子さんも数年前に脳症にかかり
命は助かったものの障害をもつことになってしまったのだと
数日後に聞かされました。

小さな白いお部屋に入った葉と一緒に自宅に戻ります。
しばらくして葬儀に間に合わなかったdada方の義姉が
やっとサンディエゴから到着しました。
そのほかにも葬儀に出席できなかった友人が次々と訪れてくれます。
この日も夜遅くまで来客が途絶えませんでした。

最後にあんなに無宗教式の葬儀に反対していた父から改めて言われました。
「今まで出席した葬儀の中で一番いい式だった」って。
よかったね。ヨウヨ。


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ありがとう [葉が闘った日々]

1年が経ちました。

1年間1日も欠かしたことのない白いユリの花です。
今回はママとばあやんとじいやんとチャン(上の妹)からのお花だよ。

この1年、葉を想わない瞬間は1秒たりともありませんでした。
これはよく考えるとある意味驚くべきことです。
夫のこと、大事な仕事のことでさえ
そこまで常に想い続けていることはそうそうありません。
「想う」ことが供養だという考え方を尊重するのであれば
私たちは常に彼を「想っている」ので
1周忌に何か特別なことを催す必要はないともいえました。
なのでお客様を招いて何か特別なことをするつもりはありませんでした。
ママはいちおう葉の好きなプリンやフルーツケーキを焼いたけど。

それでも1日から3日までの間
本当に予測外の方々が美しいお花と共に訪れてくれました。
海外からわざわざ送り届けてくれた友人もいます。
おかげで我が家のリビングは綺麗なお花屋さんみたいになりました。

あ、それからもっと嬉しいこともあったよね。
葉の大好きなお祭りのお囃子が
太鼓と笛の音と共に家の前を通り過ぎていきました。
本当だったらあそこで太鼓を叩いて踊っているのは葉だったかもしれない。


さて。
我が家の裏には、葉より6ヶ月ほど下の小さなガールフレンドがいました。
殆どおしゃべりもできなかった彼女がもうお話をしています。
昨年の葉より完璧に正しい日本語になっています。
一瞬どんどん抜かされていく寂しさと苦しさを感じました。

昨年の夏、
彼女のママがちょうど臨月だったため
窓際で羨ましそうに外を見ている彼女と
既に外に出て遊んでいる葉は
なぜかいつも窓越しに見つめ合っていました。
たまにお外に出て一緒に階段を昇るとき
葉は彼女を一丁前にエスコートしていました。
自分だってまだ危ういのに......。

「葉のこと覚えてる?」
当時彼女はまだ2歳にもなっていません。
しかも1年ぶりです。
もう忘れちゃったよね......そう思いながらこわごわ尋ねてみました。
「ヨウヨ覚えてるよ。」
するとお母さんが
「ときどき葉くんのことをうちで話してくれるんですよ。」
思わず涙が出ました。

ありがとう。
嬉しいね、ヨウヨ。


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一生忘れられない日 [葉が闘った日々]

今日は2記事同時アップさせていただきます。
もうひとつの記事はこちらから。


2年前の今日
2004年9月26日は、一生忘れられない最も恐ろしい日でした。
暑かった夏から急に寒いくらいに涼しい秋に変わった日でした。
こんなことがありました。


      2004年9月26日お昼頃の葉、実家近所のお祭りの縁日の前で




ママ、抱っこ





だんだん日常の記憶が薄らいでいく中で
必死に忘れないように努めている声の記憶です。

疲れたような眠いような甘えたような助けを求める声でした。

抱っこして葉はしばらくボーとしていました。
いきなり肩がぴくっと動きます。
熱性けいれんかな?
そのときはまだ私は落ち着いていました。
小児科に電話をして
葉を抱きながら母子手帳と保険証を鞄に入れて..........

あ....。

あのとき私は前屈みになったため少し葉の頭が下になりました。
あれがよくなかったのでしょうか......
でも心臓はまだ動いていました。たぶん。


それから自家用車の後部座席に乗って......すぐ
葉は胃の中のものを戻しました。
30分ほど前に小さくちぎって食べたばかりの蒟蒻畑も。

運転手だった1番末の妹が両親を呼びに家に帰っている間に
葉は明らかに急変し
心肺停止が起きていました。

それからの私は
理性が支えた現実と絵空事の夢のような感覚との間で
まるで実態のない宙を浮かんでいるようでした。

大声で近所に助けを呼ぶべきか
それより今すべきことは何か
どちらともつかず、明らかにパニックを通り越して行動力を失っていました。

それでも携帯で119に電話。
119の対応がまどろっこしく
小児科へ取りあえず飛び込みます。
今でも
救急処置の仕方がわからなかった自分を恨みます。

病院に着き
車を出て葉を抱いて病院に駆け込みます。
葉に気を配りながらも出来うる限り全力疾走。

でも、
私の頭の中では全ての行動、全ての目にする光景が
テレビや映画でよく見るようなスローモーションでした。
コマが落ちていくような光景。
それをもの凄く冷静に感じていました。
いつか自分の実体験を映像にするとしたらこんな感じで撮るのかな....
なぜそんなことを思ったのか今でも理解に苦しみますが
そんな馬鹿馬鹿しい考えさえ浮かびました。


葉を見た先生の顔が一瞬で変わりました。


日曜日の時間外。
個人の小児科病院には先生以外誰もいません。
再度119に電話します。
必死で蘇生救命して下さるその前で
葉の名前を叫んでいるつもりなのですが声がでません。
目の前で起きている現実が理解できず
発する自分の声が白々しくさえ聞こえ
空気が漏れたような裏返ったような
まるで到底自分の声とは思えない音がむなしく響いていたように感じます。







あの日。
何が間違ってしまったのでしょう。
なぜこんなことが起きたのでしょう。

どこまでさかのぼれば
あの才能に満ちあふれていた葉は
元気に私たちの元で暮らすことができるのでしょう。

病気の原因は未だにわからないままです。
原因がわからないこそ
たぶんこの追及は一生続くのだと思います。






9月26日午後6時半過ぎ
この日この時間を
今日は初めてdadaと一緒に過ごします。


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2年後のママの気持ち-1 [葉が闘った日々]

2年前の今日
2004年9月27日
こんな日でした。




今朝、
久しぶりに頭も全身も苦しくて、
布団から起きあがるのに時間がかかりました。
特別意識して起きたわけではないのですが
無意識に2年前のあの日々に身体がかえっているようです。
季節の空気がそうしているのかもしれません。

昨日からの天候は
2年前ととてもよく似ているように感じます。
でも正直言って正確な天候は憶えていないのです。
ICUとすぐ側の4畳ほどの親族控え室で1週間を過ごした私たちには
外の天候や外気温とは完全に遮断された状態でした。
途中大きな台風が来て飛行機が飛ばない日もあったでしょうか......。
東京から駆けつけた義母がそんなことを言っていた気もするのですが
よく憶えていません。
 

2年前の辛い出来事を思い出すことは
後ろ向きなのではないか、とおっしゃる方がいるかもしれません。
でも、それは全く反対です。
これを受け止められなければ、その先はないのです。

よく「息子を亡くしました」というと
人々から「あ、ごめんなさい」という答えが返ってきます。
私自身、葉を失うまでは
死や哀しみに対して触れることはあまり好ましいことではない、
と感じているタイプの人間でした。
そう教え込まれていたからです。

思い出させたら可哀想。

とんでもない間違いだったと思います。
遺族は思い出すことなどないのです。
常に想っているから。
むしろ「ごめんなさい」と言われると逆に傷つくという方が多いのです。

dada(夫)がある仕事仲間と話していて
たまたま葉の話になったことがあるそうです。
しばらくしてその人はこう言い放ったそうです。
「あー!ヤメヤメ!こんな暗い話はやめよう。」
dadaはこう言いました。
「待って。君にはそうかもしれないけれど、これは僕の日常なんだよ。」




正直いうと.........
少しblogをお休みしようかとも考えていたのですが........
これから1週間。
もうしばらく2年前の日々を振り返らせて下さい。
記事アップは葉への手紙であり
できなかった子育ての代わり..........のようにも感じるので。





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