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2年後のママの気持ち-2 [葉が闘った日々]

2年前の今日
2004年9月28日
こんな日でした。







改めて当時の記録を見ると、
葉の状態がいかにひどかったかがわかります。
どの先生方も
こんなに強い劇症型のウイルスによる報告は前例がない
とおっしゃいましたが
確かにその通りだったのだと思います。

しかし
あのときの私たちには、
そんなことを冷静に理解する余裕は全くありませんでした。

でも、呼吸停止が起きたあの瞬間
私は最悪のケースを直感で感じていたのです。
そう感じたからこそ
明らかに混乱して
現実に起きていることが信じられず
必死ですがりつくものをさがして、でも見つからなくて..............
ただ、葉の側についているのが精一杯でした。
ましてや脳炎だの脳症だの
病気のことなど全く知識がない状態です。
先生のおっしゃることも半ばよく理解できないまま
取りあえずメモだけを取っていたように感じます。



とにかく、
ただ、
ただ、
葉に奇跡が起きることだけを祈っていました。




こんなことを考えていました。
思えば、我が家はどんな危機にもいつも勝ってきたのです。

上の妹は産まれたとき心臓に穴が開いていました。
助からないと言われたそうです。
当時は新生児の心臓手術など考えられない時代でした。
でも奇跡的に穴は自然にふさがり助かったのです。
彼女は現在、私が唯一何もかも話せる相手です。
生きていてくれてよかった。
今、心からそう思います。

その妹の末娘が産まれたとき。
生後約3ヶ月で高熱が出てやはり命を落としそうなことがありました。
私は川崎大師に御札を頂きに行きました。
奇跡的に姪は助かりました。

その後も何回か危機を乗り越えてきました。
葉だって何とかなる。
だって階段から三輪車で落ちたときですら
かすり傷ひとつなかったじゃない。
詳しくはここで。
最も才能のある子を神様が見放すはずない。
そう信じて......
正確には「そう信じよう」と努力していました。



病院側には、とても良くしていただいたと感じています。。
駆け込んだ小児科病院の先生。
救急総合病院のスタッフ。
最後に搬送された大学病院のスタッフ。

大学病院のICU。
ICUにあれほどまで自由に出入りできたのは
葉がもう助からないと察知されていたからなのでしょうか。
ほぼ24時間一緒にいることを許してもらっていました。
どんなものも持ち込みokでした。

そうは言っても私は
治療の妨げになるからそんなにべったりICU内にいるべきではない!
と言いはり、
片時も側を離れようとしなければ、
消毒もしていないギターを持ち込むdada(夫)と
ずっと喧嘩が絶えませんでした。
もし、またウイルスが入ってきて葉に何かあったらどうするの!
とうとう我慢できなくなって主治医の先生に再度確認しました。
「本当はご迷惑なのではないですか?」
「だいじょうぶですよ」
そう言われて初めてホッとしたのを憶えています。

このような方針の病院であったことに
今は本当に心から感謝しています。
子どもを亡くしたご家族の中には
子どもとの面会時間が限られていて
側にいてあげられず苦しかったというお話を多く聞くからです。








2年前は葉が息を引き取った日まで咲いていなかった金木犀。
今年はもう散ってしまいました。






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2年後のママの気持ち-3 [葉が闘った日々]

2年前の今日
2004年9月29日
こんな日でした。




「シュー」「トン」「シュー」「トン」
「ピーピーピーピーピーピーピーピー」

ICUで聞き慣れた音。
普段の日常生活では耳にしない音です。
たまに、何気なくつけたTV番組から聞こえてくることがあります。
医療特番などの番組です。
観た方がいいのに
私はすぐにTVの電源を切ってしまいます。
未だに冷静でいられなくなる音のひとつだからです。


搬送されてきたときには
すぐに「お母さん、もう大丈夫ですよ」という言葉が聞けて
少しだけ入院してもすぐに帰ることができると信じていました。
入院4日目。
ここに来てやっとそれが難しいと自覚してきました。

売店で購入するものが増えてきました。
洗剤、歯ブラシ、洗顔料、タオル、ノート、筆記用具.........。
簡単な食料として
生まれて初めてウイダーインゼリーも飲みました。
どんどん売店のポイントがたまります。
ポイントがたまると喫茶室のコーヒーが無料になるのですが
ほとんど義母や義妹にあげていたように思います。
それでも全てはさばけなくて
たぶん今でも大量のチケットがどこかに眠っているはずです。


葉は3件の病院にお世話になったことになります。
小児科の開業医。
救急総合病院。
大学病院。

偶然ですが担当の先生方は皆さんが元同僚という関係でした。
救急車到着後、
隊員に任さず、一緒に救急車に飛び乗って
救命活動をして下さった開業医の先生は大学病院の元教授。
葉の主治医の元上司でした。
救急総合病院での担当医も葉の主治医の元同僚。
(現在はまた大学病院に戻っていらっしゃるようです)

そのおかげで情報の伝達はスムーズだったのだと思います。
離れて仕事をされていても
チームで葉を支えてくれた印象を受けました。
ただ、
これはたまたま病院の少ない地方だったから可能だったのかもしれません。
おそらく神奈川県の自宅で葉が倒れていたら.....
ここまで心のこもった治療を受けられたかどうか不安です。
何とも言えないことなのですが........。
しかし、
ひとつだけ残念なのは
理想的なスタッフであっても
誰も葉を救えなかったという事実です。
私たち親を含め、皆が自分の無力さを思い知らされてしまったのです。


私の家族がICUにお世話になるのはこれが初めてでした。
想像はしていましたが
ここで働いているスタッフの勤務状況は本当に過酷です。
私たち家族が心配で眠れないのは勝手です。
でもいくら交代勤務とはいえ、
この部署で働いている医師と看護師たちには
一体どれだけの睡眠時間が取れているのでしょうか。
早朝まで診てくれた看護師がもう夕方には入っているのです。
頭が下がります。
そんな状況を知りながらも
私はどうしても葉のことを知って欲しくて
元気な頃の写真を見せたり話を聞いてもらったりしていました。
皆さんが治療してくださっている子は
こんなにずっと寝てばっかりいる子ではないんですよ!
とっても元気で才能のある子なんですよ!
だから諦めないで希望を持って助けてください!

後で伝え聞いた話ですが
全国全てのICUスタッフが
いつもこうして患者家族のお話を聞いてくださるとは限らないようです。
それはそうかもしれません。
1秒を争う命と闘って下さっているのですから
仕方がないことかもしれません。
患者家族もそれをわかっていますから遠慮しがちです。
それでも
ほんの少しでもお話を聞いていただけた私たちは
本当に救われたと感じていました。











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2年後のママの気持ち-4 [葉が闘った日々]

2年前の今日
2004年9月30日
こんな日でした。





当時、食欲は全くありませんでした。
母がお弁当を作って片道車で2時間かかるところを
父の運転で毎日通ってきてくれます。
精神的にとても弱い母。
ちょっとしたことで体調が悪くなり寝込んでしまうほどの人です。
葉の顔を見る勇気がないとなかなかICUの中に入ってくれませんでした。
母はお弁当を作ることで心のバランスをぎりぎり保っていました。
なので「お弁当を食べられないから作らないで」
とはなかなか言い出せなかったのです。

その母が初めてICUでがんばっている葉に逢ってくれました。
私が頼み込んでのことでした。
母は涙が溢れるのを必死で堪えて
葉の側にうずくまっていました。
たぶん私のために無理をして中に入ってくれたのだと思います。

母はいまだにビデオを見るのをとても怖がります。
孫はほかにも4人いますが
なかでも新生児時代を1番長く過ごした子だったので
それだけ愛情も深く
思い出すのが怖くて絶えられないのだそうです。





こうしてあのときのことを読み返してみて......
あることに気付きました。
私はあの辛い日と向きあわなければ.....
と自分で言っているくせに
未だにあのころに本当に立ち返ることはできていない......って。

母と一緒です。

本当のあのときの想いと時間には
怖くて立ち返ることができません。
オブラートに包んで表面的なことには立ち向かえるのですが
葉の日常だった幸せな生活
葉に起きたあの非情な出来事、
葉の現実だった絶望的な日々。
それを
真っ正面から受け止めようとすると
その取り返しのつかない重大さに押しつぶされて
身動きができなくなるのです。
2年経った今でも
自分が全てを失った恐怖に襲われ
目の前が真っ暗になり
頭の中は真っ白になって
周りの空気が急に薄くなり
息がとてもしにくくなるのです。






今日、葉の大好きなお囃子が家の前を通りました。





生後6ヶ月の頃から
本能でとても強い興味を示していたお囃子。
笛の音。太鼓の音。

3歳くらいになったらお囃子させようか

身を乗り出して山車を見つめる生後6ヶ月の葉を見ながら
夫婦で顔を見合わせて将来を夢見ていました。


あの山車に乗って踊っていたのは
もしかしたら葉だったかもしれないね。





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2年後のママの気持ち-5 [葉が闘った日々]

2年前の今日
2004年10月1日
こんな日でした。




あの1週間。
葉はがんばりました。
小さな身体の中に起きていたことは
耳を疑うほど
とてつもなく非情なものでした。

葉はホントにがんばった。
だってピック♥オリンピックの選手)だもんね。




これから3時31分まで
静かに葉と過ごしたいと思います。




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2年 [葉が闘った日々]

2年前の
2004年10月2日
こんな日でした。




2004年10月2日夜中の3時31分
葉が私たち夫婦の腕の中で静かに息を引き取って
今日で2年が経ちました。





実は葉が倒れた9月26日からたくさんの来訪者や頂き物が届いていました。
温かいメールも頂きました。
ありがとうございます。
精神的に落ち着かずお返事も書いていませんが
後ほどゆっくりお返事させてください。
ごめんなさい。

26日
母が葉に会いに来てくれる方たちにお出しするように、と
お菓子とお花代を送ってくれました。
どうもありがとう。



27日
葉がチャン♥と呼んでいた上の妹からも
お菓子がいっぱい届きました。

葉は○○ちゃんという彼女の名前が言えなくて
ニコニコしながらチャン♥って呼んでいました。
彼女は更に「葉にいつも会いに来てくれる近所の方たちにお出しして」と
お返し用のお菓子。

そして
1日はお花も届けてくれています。
どうもありがとう。


30日
葉のお友だちだった近所の女の子がお引越をしていきました。
前日の29日、お母さんが「2日に来られなくてごめんね」といって
綺麗な花束と共に葉に会いに来てくれました。
どうもありがとう。


同じく30日
葉が倒れたときに大学病院に、
息を引き取ってからは自宅に
大阪からはるばる飛んできてくれていた私の親友からです。
どうもありがとう。



それからこの日はお客様もありました。
元同僚です。
葉が産まれてからもちょくちょく遊びに来てくれた女性です。
彼女のお家には葉もお呼ばれもしてるね。
こんな綺麗なお菓子を持ってきて葉に会いに来てくれました。
どうもありがとう。





10月1日
この日はちょっと外出していたのですが
帰ってきたらみほさんから
こんな素敵なリースが届いていました。
オリジナルのリースです。
真ん中の3枚の葉っぱには私たち家族の写真を飾れるようになっています。
後でお写真選ばなくっちゃ。
どうもありがとう。


それから......

fumilinさんから
こんなに綺麗なお花が届きました。
どうもありがとう。


友人のAちゃんからはこんな花束。
どうもありがとう。


ベビーシッターさんからは可愛い花束。
葉が生まれて初めて出逢った最初のベビーシッターさんです。
ときどき月命日に可愛いお花を届けに来て下さいます。
どうもありがとう。


いつもはあまりお話をする機会のないご近所の方も
月命日に集まって下さるご近所のママたちも葉に会いに来て下さいました。
葉のお友だちもたくさん来てくれたね。
葉と内緒話してくれている可愛いお友だち。
何をお話ししていたのかな?
どうもありがとう。



そしてdadaとママからはあんあんぱん

パン屋のおばちゃんたちが葉を覚えていてくれておまけしてくれました。
どうもありがとう。

そしてママからは....
葉の大好きなプリン。
今日は大きいの作ったよ。










ヨウヨ。

ここに葉に会いに来て下さった皆さんにもちゃんと御礼を言おうね。







ありと♥





本当だったら、
今頃ちゃんと「ありがとう」って言えたはずなのに.....ね。


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感謝の気持ち [葉が闘った日々]

仏教では亡くなった2年目を3回忌というのだそうです。
我が家では
葉がまだ宗教を持たない小さ子だったということで
葬儀屋さんのアドバイスから葬儀を無宗教で行いました。
ですので3回忌という特別な行事は行いませんでした。
お坊さんを呼ぶような特別な行事をしなくても
いつも心で想っているから。

それでも
本当は少しだけ心配でした。
普通の人は1年目くらいまでなら故人を覚えているでしょう。
でもそれ以上の月日がたつと
皆、忘れてしまったり、忘れようと努めたりする傾向があるように感じるのです。
遺族に対しても
「もう、そっとしておこうか...」「思い出させたら可哀想」「もう大丈夫だろう」と
葉の話題に触れないように、あるいは葉に会いに来なくなる方も多いと感じます。

でも、そんなことはないのです。
特に親は子どものことを片時も想わない日はないのですから。



昨日、いつも葉を想って下さる方たちが集まって下さいました。
本当に本当にありがたいことでした。
遠くからいつも葉を想って下さる方々からは
メールやお花やここでのコメントを頂きました。
本当に本当に感謝しています。

葉を直接知って下さる方はもちろんですが
このblogを通して葉とお知り合いになることができた方々、
多くの温かい出逢いがあったことに感謝いたします。




実は例の「ジェットコースター」のため今朝から少し落ち込んでいます。
年齢には勝てないのか....と
また葉と引き離されていくような寂しさで気が滅入っていました。
でも、皆さんの温かい想いを思い起こし、再度励まされています。
お返事をまだお出しできていない方々、
必ずお返事書きます。
もう少しお待ち下さい。

本当にどうもありがとうございました。






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3年 [葉が闘った日々]

3年が経ちました。



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4年 [葉が闘った日々]

葉がいなくなって4年が立ちました。

DSCN2747a.jpg


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5年 (写真など更に追記あり@@) [葉が闘った日々]

葉と離ればなれになって5年が経ちます。

20090927_0528.jpg

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6年 [葉が闘った日々]

2004年10月2日
朝方6時頃。
病院から見た空。

DSCN2797.jpg

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