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今日から [葉が闘った日々]

言ってみても仕方のないことは言わない。
後悔もしない。
でもやっぱり人間は「もし...」をどうしても考えてしまう。
先日からずっと考えていることです。

昨年の今日から9日間の予定で実家に葉と二人で帰りました。
自宅に帰ってくる前日の夜に息子は倒れてしまったのです。
ずっと苦しくて記憶の奥に封印しつつ....
それでもまた少し思い出しながら......
だましだましこの1年を過ごしてきました。

この機会に
今日からこの1年をそして葉自身を
もう一度改めて思い出して
それらを記していこうと思います。

それがもし後悔に似た感情でも
もう一度思い直すことで心の整理にも繋がるような気がしてきたのです。
こんな感情は.....少なくとも
全くblogに興味のなかった少し前までの私から思えば
驚くべき!そして意外な発見!としか言いようがありません。

書いて自分の感情を確認すること、
忘れかけそうな大切な思い出を取り戻すこと、
そして、
失った子の話であっても
(最初はこれがとても不安でした)
それを読んで耳を傾けてくださる方がいることの強い心の支え。
私はか弱い人間ではありませんが強靱な人間でもありません。
脳天気な人間でもありませんが暗ぁ〜いわけでもありません。
いろんな人といろんなものからパワーを与えられている。
それを深く感じます。

2004年9月19日
ANAの飛行機で羽田から実家に向かいました。
初めてベビーカーなしでの遠出です。
実家といっても生まれ育ったところではありません。
仕事の関係で親が最後に移り住んだところです。

迎えに来てくれた父の車の中で葉は上機嫌で
大好きなミッフィーちゃんの歌を歌っていました。
(っていうかママも歌わされていました)

家に着くとみんなに
「あお、こうき♪のった!(青の飛行機に乗ってきたよ)」と説明。
飛行機の中では、シークヮーサージュースを2杯もおかわりしました。
1歳の時にはぐずった1時間もあっという間でした。
持参した幼児用雑誌のなかにトミカのカタログが載っていました。
葉は自分の持っているミニカーを素早く確認していきます。
最後に「ヨヨ、たぁ〜い♪(葉、コレが欲しい)」と言った自動車がありました。
食べ物以外で欲しいというのは珍しいことです。
それは100番のhondaフィットでした。
ハッキリした色が好きだった葉には珍しい選択。
気まぐれかと思ったら以前デパートでdadaと二人で見ていたときも
やっぱりこれが気になっていたそうです。

今、祭壇の上にはこのフィットも仲間入りしています。
dadaが知らない間に買ってきておいてくれたんだよね。


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じいやんとばあやん [葉が闘った日々]

2004年9月20日
里帰り2日目

この日は葉と5ヶ月違いの従姉とお散歩をしました。
私の下の妹の娘です。

葉は私をママ、夫をダダと呼んでいました。
お友達のお母さん(大人の女性)は「ぉかしゃぁん」。
これはお友達が母親を「お母さん」と呼んでいるのを見ていたからです。
ただし(ここが微妙なのですが)年配だと「っばぁちゃん」。
これはよく遊びに行く夫の母親を「おばあちゃん」と教えていたから。
お友達のお父さんは(大人の男性)は「パパ」。
まぁ、これもお友達の父親を「○○ちゃんのパパ」と呼んでいたからです。
お陰で仕事の打合せで一緒に連れて行くと
辺り構わず男性みんなに「パパ♪」と呼びかけるので.........
思わず絶句!大変でした.....。

さて。夕食はじいやんと一緒に食べました。
年に1度会うだけのじいやん。
最近の写真もないので葉は殆ど顔を覚えていません。
   葉「美味しいねぇ♪」
   父「美味しいね。」
   葉「パパ!おいしいねぇ♪」
   父「俺は御前のパパじゃないよ。」
   私「じいやん!」
   葉「じいやん!おいしいねぇ♪」
   父「美味しいね。」
   葉「パパ!おいしいねぇ♪」
   私「じいやんっ!」
こんなやりとりが続きました。
でもお陰で翌日からは
父=「じいやん」母=「ばあやん」の呼び分けは出来るようになりました。
こどもの頭って素晴らしい。

いつもはもの凄く厳しくて苦虫をかみつぶしたような父。
私は未だに父の前に出ると緊張します。
本当にいつもだと嫌みばっかり言う父なのに
この日だけは
本当にこの日だけは、葉にもとってもやさしくて
今までで1番楽しい忘れられない食卓でした。
ヨウヨ、お魚おいしかったよね。


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従姉大集合! [葉が闘った日々]

2004年9月21日
里帰り3日目

父の雷が落ちました。
葉と姪の喧嘩です。
といっても......この写真がその関係を最もよく表しています。

一緒に遊びたい葉とそうでもない姪。
「やめて」と言われれば諦める葉なのですが
教えても彼女はそう言いません。
泣いて大人に助けを求めます。
すると泣いていない方に雷が落ちる。
そして私も怒られる。
うーん。
以後、彼女は葉のいいライバルになります。


今日はもう一組の従姉の家へお泊まりです。
私のすぐ下の妹の姉妹です。

10月1日にデジタル放送が開局するということで
その開局記念番組に妹たちのよさこいチームが踊ることになっていました。

夕方、その練習に付き添ったのですが.....
気がつくと....子どもたちが踊っています。
葉も踊っています。
手はお姉ちゃんたちをみて合わせていますが
足は間違いなくサンバです。
感度のいいカメラとビデオを持っていかなかったのが残念。
ブレブレでひどい写真ですが......

汗びっしょりで家に帰り........
お姉ちゃんたちとお風呂へ!

頭を洗うとき顔に石鹸や水がつくのがイヤで
お風呂にはいるのがそれほど好きでなかった葉。
初めて自分から早く服を脱がしてっ!
とママに迫ってきた日です。

妹と計画して沸かしたアワアワお風呂。
嬉しそう!

葉、この日は本当に楽しかったよねえー!
だってお風呂もなかなか出るって言わなかったもん。


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迷ドライバー [葉が闘った日々]

2004年9月22日
里帰り4日目

久しぶりに車を運転しました。
何年ぶりでしょう。
最後にハンドルを持ったのはいつだったか覚えていないくらい。
もちろん免許証は輝かしいgold。
大体免許を取ってたったひとりで運転したことのない人間です。

上の妹の娘を保育園に送りに行った帰り
途中で妹と代わりました。
あぁっ〜!アクセルがっぁ!ぶれえきがぁっ!
たった数百メートルで挫折しました。
大きい道路でない田舎道は
道が狭くて両脇がどぶになっていたりで結構こわかったのです。
(いいわけですが....)

見るに見かねて妹に運転をバトンタッチしてもらったとき、葉が言いました。
「ママうんてんっ!」
ママに運転しろと言うのです。
思えば葉の前でハンドルを持ったのは初めてです。
どうも葉の目にはママがかっこよく映ったみたい。
しばらく眉間にしわを寄せて
「ままに!」って言ってました。
でも、あの日のママはヘタレでした。

******************************************************************

そんな葉の気持ちが嬉しくて
気持ちに応えたくて
今からでも遅くはないかと
最近たまぁ〜に練習しています。
でもなかなかdada(夫)が許してくれません。
そんなに私は下手だろうか....
練習してみないとわからないよねぇ?
どう思う?葉?


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人形の夢とめざめ [葉が闘った日々]

2004年9月23日
里帰り5日目

小さなライバルである私の下の妹の娘と一緒に
シャボン玉を作って遊びました。

葉はキラキラしたものが大好き。
だんだんストローで吹くのも輪っかを使って作るのも上手になりました。
もう夢中です。
小さなライバルが飽きてきても葉はまだまだ飽きません。
本当に一点集中型。

午後からは上の妹の娘(お姉ちゃんの方)のピアノの発表会です。
出来るだけ早くお昼寝をさせてから行きたいのですが
葉は全く寝てくれません。
遊びたいのに昼寝なんてもったいないってわけです。
彼の数少ない苦手なもののひとつでした.......。
結局グズグズいいながら現地へ。

すかさずじいやんに怒られます。
「泣くんだったら外へ出ろよ!」
でもそんな心配は必要ありませんでした。
大好きなピアノの音色を聴いたとたん葉の目はキラキラ♪
顔はニッコニコです。

そこへ葉の小さなライバルの姪が言いました。
「大きくなったらピアノ習いたい!」
すると葉も負けていません。
眉間にしわを寄せて真剣な顔で私に言います。
「ヨヨもやぁる!」
この後二人でずっと負けじと言い合っていました.....やれやれ。

葉はさすがにまだ2歳児。
そのうち大好きなピアノの音色を聴きながら寝ちゃいました。

******************************************************************

もともと3歳半くらいになったら
ピアノは習わせようと思っていました。
もう今頃きっと習っていたね。

上の妹の娘が弾いた曲のひとつは
エステン作曲の【人形の夢とめざめ】
我が家のお風呂が沸いたことを知らせる給湯器のメロディと同じでした。
お風呂を沸かすたびにこの日のことを思い出します。
葉と毎日入ったお風呂を思い出します。


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自我の芽生え [葉が闘った日々]

2004年9月24日
里帰り6日目

この日、葉は激しくじいやんに怒られ
頭をポカリとやられました。
相変わらず小さなライバル(姪)との喧嘩です。
あそこまでたたかれたことはまだありません。
泣いて私のところへ飛んできました。

確かにここ数日間のうちに
葉には自我が芽生えはじめているようでした。
「お部屋を走らないで!」
そう注意すると
「ママ。わかってるけど、少しいいでしょう?」
って顔をこっちに向けながらにっと笑ってまだ走っている。

今までは何でもママに言われる通り。
いい子でした。
言葉もハッキリわからないし
いけないことをしているときは
言葉でたしなめながら
他のもので注意を引いてやめさせる作戦で成功していました。
でも、これからはやり方を変えていく時期にきたのかもしれない......。
父親のポカリ作戦には賛同できませんでしたが
確かにそう感じていました。

さて、
この日は両親の1年数ヶ月遅れのルビー婚祝い
みんなが集まって外食をする予定でした。
バラバラに住んでいる私たちが
揃って外食できるのは滅多にありません。

ところが上の妹から突然メール!
2人いる娘たちのうち下の子が熱を出したというのです。
ちょうど私も鼻がグズグズいい出しました。
実は葉も数日前から少し便が軟らか気味でした。
いつもはコロコロなのに
回数も多くオムツからはみ出ることもありました。
「どうしよう?」

結局水溶便ではないことから
他の病気の菌をもらってくるよりは.......と葉はお留守。
妹と姪と私の3人で近くの小児科へいきました。
姪は風邪。私はなんらかのアレルギーと診断されました。
ということで
残念なが外出してのお食事会は中止です。

このとき診てくださった稲場先生。
このあと2日後、葉と衝撃的な出会い方をしてしまうのです。


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嵐の前 [葉が闘った日々]

2004年9月25日
里帰り7日目

アレルギーと診断された私。
なんだかずっと鼻がグジュグジュしています。
くしゃみも止まらない。
お薬は出たのですが......。
上の妹と姪たちは「妊娠中の下の妹やみんなに風邪を移したら大変」と
この日帰っていきました。

相変わらずじいやんの雷は葉に落ちます。
でも葉はニコニコ。
「じやぁ〜ん?」と足下にまとわりついています。
父は微妙にとまどいながらでも怒りにまかせて怒ります。
「この子は怒られても全くわかっとらん!」
相変わらず葉はニコニコ。

葉の小さなライバル(姪)と近所の公園に行きました。
彼女のママ、つまり私の下の妹はこのとき妊娠6ヶ月。
ちっとも動こうとしないので運動のためにと無理矢理連れて行きました。

お砂場で遊ぶのはいいのですが
葉はサンダルに砂がはさまるのが嫌で
「ママ、きれきれして。」と足の砂を払ってもらいに来ます。
遊んでいる時間が長いか、砂を払っている時間が長いか。
いたちごっこです。

そうです。
葉はえらく神経質な面を持っていました。

滑り台に登るとき、
階段に砂が溜まっていると
手で1段1段綺麗に払ってから登ります。
あんなことは誰も教えたことはありませんし
周りでそんなことをしている子を見たこともありません。
えらい細やかな神経です。
がさつな私のいい右腕になってくれるのではないかと
密かに期待していました。

そんな小さな特徴を見つけるたびに
「この子は一体何に向いているんだろう」
未知なる未来への可能性と才能に心を躍らせ
幸せな未来を夢見て信じ疑うことはありませんでした。


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この世で一番恐ろしい日 [葉が闘った日々]

2004年9月26日
里帰り8日目

朝方5時頃もの凄い咳の音で私は起きました。
葉の咳です。
従姉(上の妹の娘)の風邪が移ったかな?
同じ種類の咳だったのでそれが最初の印象でした。
熱はなし。
食欲も元気もいっぱい。
急に寒くなった朝でした。

この日は近所の秋祭りの日でした。
近くの広場では屋台も出るようです。
じいやんは町内会の役員をしていたので朝から外で忙しそうでした。
さて熱もないし元気なので
小さなライバル(姪)とお昼を食べにお祭りへ出掛けました。
豚汁、カレー、広島風焼きそば。
葉はつぎつぎ平らげていきます。
ソフトクリームまでペロリと食べてご機嫌でした。
おもちゃ売り場に置いてあったぬいぐるみの前でパチリ。

シャッターを押した瞬間は今もハッキリ覚えています。
これが元気な葉の最後の写真になるなどとは思いもしませんでした。

1時半頃お昼寝のために家に帰りました。
おでこが熱いのに気付きました。
熱は37度5分。
この日は日曜日です。
取りあえずお昼寝をさせて様子をみるつもりでしたが
起きたときには更に上がっていました。
38度3分。
でも食欲もあって元気。
おやつのバナナを食べさせた後
おととい姪(上の妹の娘)に処方されたお薬を飲ませました。
本当はいけないことだけど
お薬の種類を見たら葉も普段処方されているお薬だし
体重も彼女とあまり変わりません。
明日まで悪化しなければ何とかなる。
東京についたらすぐ小児科へ直行しよう。
そんな算段がありました。

葉は咳も出て身体も熱いけれど元気です。
走ったり笑ったり跳びはねたり。
でもこの時点で私たち親子は家族から隔離されていました。
妊娠中の妹に移らないように、です。
小さなライバルと遊びたいのにみんなが2人を離します。
葉はちょっと悲しそうでした。

お茶はいつもと同じように飲んでいました。
じいやんに初めての蒟蒻畑をもらいました。
「じやぁん、ありとー♪」
ピーチ味でした。
ママに小さくちぎってもらって食べました。
「おいしい?」
「おいしい♪」

夕方6時半過ぎ。
私と葉はミニカーで遊んでいました。
片足を立てた私の足の間をミニカーで行ったり来たり。
いつの間にか葉の息がはぁはぁ荒くなっています。
「苦しいねえ。大丈夫?」
ふと元気だった葉が
背後にあった机に少し疲れたように寄りかかりました。
そして
「ママ、抱っこ」
私の方にまっすぐやってきて座ったまま抱っこしました。
肩がぴくっと動きました。
あ、痙攣かも。
私は奥にいる家族に叫びました。
「誰か稲場先生に電話してっ!!!!!!!!」
事情を知らない家族はのんびりしています。
じいやんは既に委員会でお酒を飲まされて帰っていました。
妹は入浴中。
ばあやんは食事の支度でてんてこ舞い。
更に大声で叫びます。

7時。
電話で先生に葉の様子を説明し
日曜の時間外、強引でしたが気持ち良く診てもらうことになりました。
(痙攣止めさえもらえれば大丈夫)
私はまだ落ち着いていました。
でも葉の意識はほとんどありません。
目はうつろで上を向いています。
それでも息はしていました。

妹に車を出してもらい家を出たのが7時5分。
車が動いてすぐ葉の口から小さな泡がぶくぶくと出てきました。
と同時に食べたものを戻してしまいました。
妹は車を止めタオルを取りに帰ります。
私は汚物で気管が詰まらないように喉を開けました。
でも痙攣している葉の口は開きません。
渾身のチカラでこじ開け、
何も詰まっていないのを確認したたとき
葉の体重が異常に重く私にのしかかっているのに気づきました。
呼吸がありません。
直感で「まずい」そう思いました。
でも暗闇の中に助けを呼ぼうにも声が出ません。

携帯で119にかけました。
応急処置の方法を聞きたかったからです。
でも現在地点の確認をされるばかりでラチがあきません。
電話を切り、驚いて家を飛び出してきた父と妹に指示して
取りあえず稲葉先生の待っている小児科へ急ぎました。

ただの熱性痙攣だと思い
落ち着いて待ってくださっていた先生の顔色が変わりました。
「お母さん!もう一度救急車呼んでっ!」
ここへ来れば大丈夫だと思っていたのに
葉は目を覚ましません。
息がありません。
先生が胸を押します。
ぐぅっっぅ!
空気の音なのか何の音なのか.....
それでも息を吹き返してくれません。
自分が息をしているのが不思議でした。
全てがふわふわして引力が感じられません。
葉の名前を叫ぶ自分の声さえ宙を舞っています。

救急車が到着しました。
近くの総合病院へ搬送されます。
稲場先生も乗ってくださいました。
救急隊員が感謝の言葉を先生にかけたのを聞きました。

総合病院で葉は稲場先生と共に緊急処置質へ運ばれます。
私は書類にサインし廊下で待ちます。
私には看護師さんがひとりついてやさしく言葉をかけてくれます。
でも彼女の声は耳に入りません。
「お母さん、もう大丈夫ですよ」
そう呼ばれると信じて待っていました。
でもそのセリフを聞くことは出来ませんでした。

担当医はコンタクトのせいか睡眠不足か
目を真っ赤にした男性の先生。
名札で上勢という名の先生だとわかりました。
心臓だけは機械で動かすことに成功しました。
自発呼吸はしていません。
意識もありません。
髄液検査がここでは出来ないので近くの大学病院へ
準備ができ次第搬送します。とのこと。

この時点でようやくdada(夫)に電話を入れました。
私についてくれていた看護師さんが病院の電話を貸してくれました。
電話の向こうの声は動転して叫んでいます。

私たちは再度救急車で約1時間の大学病院へ向かいました。
救急車に乗るとき稲場先生が肩をたたいて声をかけてくれました。
「お母さん!がんばって!」
少し我に返りました。

救急車のサイレンと
心拍を示す機械の音と
恐ろしいくらいの無音の真っ暗な闇の中の高速道路。
私は必死で知っている限りのお祈りの言葉を唱えながら
堅く爪を食い込ませた両手を固く組んで助手席に座っていました。

大学病院に着き、葉はICU(集中治療室)へ。
私はまた書類を作成しサインします。

淡々と様々なものが準備されていきます。
家族の控え室もあります。

しばらくしてICUに呼ばれました。
「今夜が山です。」
ここにきても私は少し我慢すれば
すぐにでも...明日か明後日には帰れると思って信じていました。
それなのにもう一方では
何かが静かに音を押し殺しながら崩れてきているのを感じ始めていました。

じいやんとばあやんが後から車で追いかけてきてくれました。
上勢先生が誰か私についているように助言したからです。
この歳でこの時間帯にこの長距離は辛いはずです。
しかも日中はみんな忙しい1日でした。
疲れているのに申し訳ない。
私が思ったより落ち着いているということで
しばらくして帰っていきました。
それはそれで心配でした。

このとき「dadaは後先考えず車で家を飛び出したらしい」
という連絡を受けました。
どんなに飛ばしても5〜6時間はかかるでしょう。
事故を起こさないか、
心配が倍増し気が狂いそうな夜でした。


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ICU1日目 [葉が闘った日々]

今日から6日間
昨年記録として残していた
メモ帳の走り書きから抜粋して記載していきます。

2004年9月27日
ICU1日目

真夜中の3時だったか...
無事にdada(夫)が車で病院に着きました。
高速でとにかく飛ばしてきたようです。

葉は実家に来て3日目に実は突然こんなことを言っています。
「ヨヨ、ダダ白ブウブ帰る」(葉、dadaの白い車で帰る)
その白い車でdadaはやってきました。

私たち親子は、この日のお昼の飛行機で自宅に帰るはずでした。
妹に飛行機のチケットの払い戻しをしてもらいます。
自宅の新聞を止める手配をし。
仕事関係者に仕事のキャンセルの電話を入れます。
10月1日には友人の結婚式の出席のため葉と韓国へ発つはずでした。
同行する友人にキャンセルの電話を入れます。
自宅の隣のママに念のため事情を電話で報告しました。
宅急便などの荷物や何かの用心のためです。
その他必要と思われる人に連絡を入れます。

何が起きているのか
どうなっているのか
必死で冷静でいようと
必死で呼吸をすることが精一杯でした。

通常ICUは非常に管理の厳しい病室です。
家族といえども入室には厳しい制限があります。
最初は殆どを側の控え室で過ごしていた私たちでしたが
葉が小さいと言うことで
途中からその殆どの制限を免除してもらいました。
最初は一番奥にあったベッドを
一番手前の特別室に変えてもらい病室への出入りは自由。
おもちゃなど何でも持ち込みOK。
「できるだけ側にいて励ましてあげてください」
そう言われました。

医師からは
脳が腫れています。
回復する見込みはきわめて難しい。
意識が戻っても障害が残るでしょう。
という趣旨のことが伝えられたように記憶しています。
ただ子どもは大人では考えられない回復力を持っているので
我々はそれに賭けている、と。
何を言われているのか...
声は聞きとれましたが
それが葉に向けられた言葉であるということが到底理解できずにいました。

一体この医者は何を言っているんだろう。
そんな馬鹿なことがあるわけないじゃない。

お昼頃、じいやんとばあやんが来てくれました。
何も食べず何も用意していない私たちは叱咤されました。
「これから長くなるのよ。」
すぐ帰れると思っていた私にはピンとこない言葉でした。

寝具を予約し、売店で必要な日常品を購入し.....
食欲などという感覚を忘れていた私に
母親は作ってきたお弁当を無理矢理食べるように迫ります。
母の気持ちは痛いほどわかります。
でも拷問でした。

前日から気温が急に下がってきています。
私の咳が急に止まらなくなってきました。
喉も痛く鼻も出て熱もあります。
3日前診断されたアレルギー症状ではなく
完全に風邪を引いてしまったことが実感できました。

大学病院3階の一角数10メートルの範囲。
そこがこれからの私たちの生活すべての拠点になっていくのでした。


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ICU2日目 [葉が闘った日々]

2004年9月28日
ICU2日目

朝7時20分
顔を洗っていた私のところへ
dada(夫)がICUから飛び出してきました。
夜中(なんと!)ベースギターを持ち込み
ずっと葉の前で泣きながら弾いて歌を歌っていたのだそうです。
すると、目も覚まさず脳波の動きも見られなかった葉の目から
一筋の涙がこぼれた!というのです。
反応があった!
急いで私もICUに戻ります。
本当に両目から涙が流れていました。

葉はdadaが泣き真似をすると一緒になって泣いてしまう子でした。
先生に尋ねると
「機械に反応しなくても葉くんの心は生きていますから。」
本当にママたちのことがわかっているの?
そうではないかも....疑いの心もどこかでもちつつ
急いでその疑いを打ち消します。
コレは紛れもなく「反応」じゃないか!
「希望」がある証拠なんだ!
身体がいうことを効かないから精一杯涙で訴えたんだ。
実はこれに似た体験をしたことがあります。
その話はまた今度。

私の風邪は悪化していました。
咳も鼻も止まりません。
この体調ではICUの病室に入るべきではありません。
でも葉の側を離れたくはない。
病院内の内科に無理を言って優先的に診てもらいました。
「優先的に....」だなんて図々しいと自分でもわかっていました。
でもこうしているうちにも葉に変化が起きてしまうかもしれない。
最初は「順番通りに..」とたしなめられましたが
結果的に名前を早めて呼んでくださいました。
即効性のある薬も素早く処方してもらいました。
その融通の利かせ方、優しさの対応にに感謝の気持ちでいっぱいでした。

昼過ぎから床ずれ防止のために黄色いムアツ布団を敷き。
心拍180になると警告音が鳴ることを教えてもらいました。

13時頃、
高校時代の親友が大阪から駆けつけてきてくれました。
彼女は3人の子の母親で自分も重度のヘルニアで苦しいはずなのに
4時間も特急に乗って励ましにきてくれたのです。
彼女がいることで1日平静を保つことが出来ました。
彼女は最終列車までずっといてくれました。

東京からはdada方のおばあちゃん(義母)と義妹も来ました。

便が出ました。
「腸が動いている証拠です。」
でもしばらくしてその希望は掻き消されました。
便が水溶便になっています。
色々なものが混じってきていました。
「腸の壊死が始まっている。」と伝えられました。

気晴らしにと上の妹に売店へ連れて行かれましたが
無意識に葉の喜びそうなものばかりが目につきます。
今コレを買っても喜ぶ顔を見ることが出来ない。
改めて現実を意識しショックを受けるのでした。

葉の唇が乾いてきたので
売店でリップクリームを買ってきて塗りました。
それでも痛そうなので 
呼吸器の管の位置を右から左へ変えてもらいました。
看護師さんに「お母さん、絵は得意ですか?」と聞かれます。
「?」
彼女は管を止める絆創膏にアンパンマンの絵を描かせてくれました。
見える?葉?
ママが描いたよ。

22時
身体の向きを右から左に変える時間です。
2時間ごとに変えています。
タオルをクルクル巻いて身体の下に入れるのを手伝いました。
肺に水が溜まってきているそうです。
そのまま肺がむくんでくると危険な状態になるそうです。
明日はレントゲンを撮る予定。

点滴も替えます。
数え切れないほどの管が葉に繋がっています。
足の指が堅くなって固まってきているためマッサージをします。
唯一出来ることのひとつです。
そう言えば葉を産んだとき
私も麻酔が切れるまでの間体重がかかって鬱血したため
かかとが固まって激痛で大変だったっけ。
葉の身体が痛くならないように。

23時10分
心拍180
警告音が鳴ります。
心臓にエコーをかけました。
心臓にも水が溜まってきているとのこと。
少量なので危険なため吸い出すことも出来ません。
心臓の動きが悪くなっているため警告音が鳴ります。
心筋炎が発生していると言われました。

23時30分
葉が生まれて私の生活は全て彼中心に回っていることを改めて感じます。
葉がもしいなくなったら一体私はどうなるのでしょう。
想像力に関しては人より豊かだと自負しているにもかかわらず
全く想像することが出来ません。
子どものいない、
葉のいない自分には戻れません。
他の子では代わりにはなりません。
葉だけが必要と心が叫んでいます。
それ以外は思考がストップして考えられません。
葉、ママのところに絶対元気になって戻るんだよ。
絶対だよ!

23時50分
身体の位置を変えました。
体温35度8分
心拍180(警告音)
血液検査

本当はできないらしいのですが
婦長さんの計らいで
一般病棟の患者さん用のお風呂を
みなさんが利用したあとに使用させて頂きました。
小児病棟は辛いだろうからと産婦人科病棟のお風呂でした。
新生児室の前を通り
「あぁ。葉もこんなに小さかったっけ。」
健康に対して何の不安もなかった
元気だった葉を想い何とも言えない気持ちになりました。

「台風がきているらしい」
「30日直撃予定」
外の世界のことに全く意識がいっていなかったことに気付きました。


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