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想う会 [葉が闘った日々]

2004年10月3日

雨です。
昨日とはうってかわって冷たい雨が朝から降る日でした。

葬儀のお知らせをdadaは事務所に
私はいくつかのグループごとに分けて各々仲間にお願いしました。

ふと一輪のお花も葉に用意していないことに気付きました。
ちょうどそのとき
昔の仕事仲間が白い花かごをもって駆けつけてくれました。
彼は少し前にお父様を亡くされた経験を持っています。
これから決めていかなければいけない事柄について
しばらくお話を聞かせてもらいました。

次々と来客者が増えます。
入院中大阪からお見舞いにきてくれた親友が真っ先に手伝いに来てくれました。
家族で折っていたという千羽鶴を持ってきてくれました。
別の仕事仲間Tさんも車で駆けつけてくれました。
お言葉に甘えて両親を迎えに行ってもらいます。
dada方のおばあちゃんと義妹もやってきます。

お昼すぎ昨日の葬儀担当の千葉さんが打合せにいらっしゃいました。
葉はお布団から棺の中に入ります。

さて、本格的な打合せが始まりました。
父はまだ無宗教で葬儀をすることに賛成ではありません。
千葉さんや友人や妹が父親に助言してくれます。
無責任のようですが
あのときの私にはそれ以上この話題に付き合うには
精神的に限界を感じていました。
ついに私はさじを投げる作戦に出ていました。
夫に任せる!
さすがに父も諦めたのか黙って見守る形になってくれました。

さじを投げて.....はみたものの
しばらくして千葉さんとdadaの打合せ状況をのぞいてみると...
「........!」
何も決まっていません。

志の品、お弁当の注文、霊柩車の種類、遺影の選択
想う会(通夜)の段取り、お別れ会(告別式)の段取り。
どんどん決めなくてはいけないことが山積みです。
「想う会」まではもう時間がありません。
友人の意見に助けられながらぱっぱっと決めていきます。

翌日の「送る会」については大きな壁にぶち当たっていました。
最初は......
専門の司会者に葉のエピソードをお話ししてもらいながら
進めていけばいいと思っていたのです。
が、
その専任の司会者なる人物が「存在しない」ということが判明したのでした。
「どうしよう」
無宗教での葬儀は儀式的な制約がない分
すべてを自分たちで構成していかなくてはなりません。

会場が狭くなったためおそらく列席者全員は入れません。
隣接した控え室で元気な葉に会って頂けるよう
私の仕事仲間TさんにDVテープを編集してDVDに焼いてもらう依頼をしました。
これがあればdadaの仕事関係者
つまりあまり葉を知らない方がいらしても
どんなに元気な子だったかがわかってもらえるはずです。
こんな時間的に無茶なお願いを引き受けてくれたTさん。
申し訳ない!と思いつつ......
本当に彼には今でも心から感謝しています。

さて
その他の作業としては........
大まかな式次第だけを打ち出して
詳細は夜中に考えることにしました。

この打合せの最中、
「想う会」にも「お別れ会」にも顔を出せないという方々が
わざわざ時間の合間をぬって駆けつけてくださいます。
お花もどんどん届きます。
狭い家の中が本当にひっくり返ったような状態でした。

夕方になり、献花、台帳、受付台など
「想う会」に必要な品々が運び込まれ
本格的な準備が整いました。

千葉さんの案内により「想う会」が始まりました。
ひとりひとり私たち夫婦と言葉を交わし、
葉に白いカーネーションの献花をして下さいます。
外は冷たい雨でした。
後で聞いた話によると
寒い雨の中を本当に多くの方が
長い列を作りながら順番を待ってくださったのだそうです。

私は葉を直接知っている人だけにお知らせを限定しましたが
dadaは連絡が付く限り広く皆さんにお知らせしていました。
音楽関係者が多数来てくださいました。

無宗教、そして自宅での「想う会」にしてよかったことは
集まってくださったひとりひとりと
お顔を見てじっくり声を掛け合うことができたこと。
そして葉とゆっくり一緒にいられることです。
あんなに難色を示していた父に
「よかった」と言ってもらえホッとしました。
家が狭いため皆さんにくつろいでいただけなかったのは残念ですが、
自宅だったことで
当初の予定時間がかなりオーバーしても気にすることなく
いつまでも語り合うことができました。
次から次へ夜中過ぎまで弔問客は途絶えませんでした。

さて午前2時過ぎ。
これから翌日の原稿を書かなければいけません。
dadaは演奏する曲の譜面を作り出しました。
この夜が葉と3人で一緒にいられる最後の夜でした。


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mamaru

慌しい中でも、心温まる会を開催されたのですね。
こうして忙しくせざるをえない状況があるときのほうが、意外と動けるもので、一段落したときがまだ一山・・・なんですよね。
お父様に安心していただけてよかったですね。
by mamaru (2005-10-03 12:38) 

とても心温まる会だったと思います。
ヨウヨ君、天国に召されたのですね。
by (2005-10-03 14:59) 

yulala

たくさんの人がヨウヨくんにお別れを言いに集まってくれたんですね。
それだけ多くの方が自分を大切に想ってくれていると分かって、
ヨウヨくん、きっと幸せだったでしょう。。
by yulala (2005-10-03 17:34) 

U3

 わたしの父の場合は病院から出たのが夜の12時近く。霊安室に亡骸を納めて、それから母と姉と妻そしてわたしと葬儀社の方と2時間あまり打合せを行いました。母が喪主はわたしになって欲しい言ったので葬儀社の方との打合せはわたし主体で行い、皆は同席してわたしの決定に対して確認と同意をしました。そんなこんなで終わったのは朝の4時半過ぎ。姉をタクシーを呼んで送ってから母を実家まで連れて行って、自宅に帰って来たのは朝の7時過ぎ。2時間ほど仮眠してまた手配やら連絡やら準備に追われました。結局葬儀が終わるまでの4日間で10時間ほどしか眠れませんでした。
 ・・・だからその大変さはよくわかります。
by U3 (2005-10-03 18:40) 

寒い雨の夜もみなさんの暖かい心で葉くんも寒くなかったでしょうね。
by (2005-10-03 20:31) 

lalamama

ヨウヨ君、きっと今もお空の上で「mama&dadaありがとう」って言ってくれてるでしょうね。
沢山の人にお別れをしてもらって、ヨウヨ君も嬉しかったでしょうね。
by lalamama (2005-10-03 23:09) 

azuki

こんばんは。葉クンもきっと、もっとお家にいたかったんですね!
by azuki (2005-10-04 00:00) 

nako

★mamaruさん
そうですね。
やらなければいけないことが山積みの時は
様々なことに追われて立ち止まることさえできませんが
おさまってきたときにはじめて
本当に抱えきれない大きさで喪失感が襲ってきたように思います。

★qoooさん
無我夢中で詳細にまで神経が行き届かない状態でしたが
周りのみんなが助けてくれました。

★yulalaさん
本当にたくさんの方々が集まってくださいました。
私がいなくなったとしても
あれだけの人数は多分集まらないのではないでしょうか。
えらい大物の2歳児です。

★ブラウンパパさん
そうでしたか........。
本当に残されたものは無我夢中にならざるをえませんね。
待ったなしですものね......。
なかなか表に出ることのない作業ですから
本当に経験しないと何もわからないものだと感じました。

★tanaka-ma3さん
幸いなのは
おそらく葉自身はずっとずっと幸せなままだったと思います。
誰も傷つけず
誰からも傷つけられず
幸せだけを与えて去っていった子でした。

★lalamamaさん
いつも側にいてくれるような感覚は確かにあります。

★azukiさん
たぶん、今でも戻ってきたいと思っているんじゃないかな。
dadaとママが望んでいるから。
by nako (2005-10-04 10:49) 

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