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友人の命日 [ママの独り言]

2003年7月20日

天気のよい日でした。
仕事の仲間が旅立った日です
私と同い年の女性。
まだ30代でした。
病名は大腸癌。

とてもボーイッシュで
男性にも女性にも人気のある人でした。
見た目は嵐の松本潤くんに似ていたかな。





葉を身ごもった時期と
彼女の病気が発覚した時期が同じくらい。



辛い思いをさせるのではないか......と迷いましたが
葉と一緒に2度お見舞いに行ったことがあります。

1度目は葉が生後8ヶ月くらいの時
すごく嬉しそうに葉を可愛い可愛いと言ってくれたのが忘れられません。

2度目は葉が1歳3ヶ月。
それが最期に彼女と会った
2003年7月19日の夕方。
危篤状態だと電話で知らされ急いで駆けつけたときでした。
もうこのときには意識はありませんでした。
でも「声は聞こえるから...」そう仲間に言われたのを思い出します。



あのとき......葉がまだ小さかったので
ほんの少ししか病室にいられませんでしたが..........
前にこちらでこんなお話をさせていただいたことがあります。
あのとき、
偶然にも大事なわんわんがいなくなって
渋谷からまた病院に戻ることになったのは

もしかしたら彼女が
もうちょっと.........
って呼んだのかな.........





そんな気もします。




それとも葉が
ママもうちょっといてあげてもいいよ........
って本能で教えてくれたのかもしれません.........








それから数時間後の翌日7月20日。
彼女は旅立ちました。





当時は正直言って
彼女のお父様とお母様の気持ちを
あまりよく理解できていなかったように感じます。
恥ずかしいです。
自分の大切なこどもが先に旅立つなんて
どんなに寂しく苦しく悲しい想いでいらしたことでしょう。




私などには何もできませんが......
彼女のご実家に今日お花だけお送りしました。





今でもみんなが彼女を想っています





それだけは伝えたくて.........。








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コメント 6

miho-rin

きっと 彼女を想う気持ちはたくさんあるって 
leafさんが 一番わかってらっしゃるんじゃないかしら
何も出来ないけれど 想うことくらいしか出来ないけれど
その気持ちって 大切にしたいなぁって…
by miho-rin (2006-07-20 08:26) 

Apple-smile

はじめまして。
私もおさななじみが20代後半で旅立ちました。
彼女は結婚して少し遠いところに住んでいましたが
今、彼女の眠っているところは私の家の近所です。
すごい偶然です。運命すら感じます。
(小学校から大学まで一緒(一貫校ではないんですよ)、
誕生日も2日違いでした。)

私も結婚して子どもを授かり、今は彼女のご両親の気持ちを
考えてしまいます。一緒に育ってきた私を見るのは辛いかも、、、
時々、お花を持って彼女のところに行っています。

偶然、実母が彼女のお母さんにスーパーで会ったときに
「ありがとう」って言っていたと聞きました。
もう、6年半以上経ちますが、彼女のお母さんは人との関わりを
あまりもたないようになってしまっているそうです。
母を見ても、涙が出てきてしまったそうです。

時々、他の同級生にも声をかけて一緒に行っています。
想い続ける事、私も大切にしたいです。
by Apple-smile (2006-07-20 12:35) 

すいすえみ〜

leafさんのお友達のいのちも、leafさんや周りの人が、こんな風に忘れずにいてくれる限り、生き続けていくんだって思います。
ヨウヨのわんわん、可愛らしくって、ぎゅっとしたくなっちゃいました。
by すいすえみ〜 (2006-07-20 15:22) 

私も昨年、同級生を亡くしました。 やはり30代。
彼女の家は私の実家の前、幼稚園のときは毎日遊びました。
小学校は別々で中学が同じだったけど一度も同じクラスにならなくて
遊んだりすることはなくなってしまったけど、幼なじみには変わりません。
彼女は悩みに耐えられなくなって、アルコールに逃げてしまい体を蝕まれてしまいました。 彼女の悩みは長女だからこその家の悩み、継ぐ継がないの…
私も同じ立場でした。 私の親は深く考えてなかったので、私は悩むことなく結婚し、家を出ました。 彼女は出来なくて…
私は彼女の力になってあげられなかったのが、今でも心残りです。
彼女は早くにお母さんを亡くしていたので、私の母に少しだけ悩みを打ち明けていました。
彼女は優しい人だったから、お父さんを裏切られず耐えられず自分自身を傷つけてしまったんです。
彼女の妹さんが告別式の次の日に、借り物を返しに私の実家に来ました。
たまたまいた私は少しだけお話できて、今度は彼女が悩んでいる…。
私はお姉さんの力に少しもなれなかったことを話し、妹さんも同じようにならぬよう、体だけは大切にするように言いました。
結局、私も何もできませんが、彼女を想い続けています。
by (2006-07-20 15:51) 

みやじー

 息子に先立たれて一番思ったのは「順番を守らなければならない」ということでした。息子を責めるのではなく、自分自身が「順番を守る」べきだなと…。そう言えばさだまさしさんの「関白宣言」の中にこんな一節がありました。

「例えばわずか1日でもいい 俺より早く 逝ってはいけない」

 この歌を聴いた頃は自分自身がまだ幼く、何を言っているのか今一わかりませんでしたが、今はこの詞がグッときます。
by みやじー (2006-07-20 22:04) 

mamaru

想うこと。
その場にいけなくても、自分が何もできなくても、想いは絶対に届く。
いつもそう思ってるんです。
遺された方はもちろん、旅立たれた方にも--。

私も学生時代にサークルの1コ上の先輩を亡くして。
そのときのお父様、お母様の悲しみ。
こどもを想う親のこころ。
わかっていたようで、何もわかっていなかったな、って思います。
今も半分、なのかもしれないけれど・・・。
by mamaru (2006-07-21 13:18) 

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