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この世で一番恐ろしい日 [葉が闘った日々]

2004年9月26日
里帰り8日目

朝方5時頃もの凄い咳の音で私は起きました。
葉の咳です。
従姉(上の妹の娘)の風邪が移ったかな?
同じ種類の咳だったのでそれが最初の印象でした。
熱はなし。
食欲も元気もいっぱい。
急に寒くなった朝でした。

この日は近所の秋祭りの日でした。
近くの広場では屋台も出るようです。
じいやんは町内会の役員をしていたので朝から外で忙しそうでした。
さて熱もないし元気なので
小さなライバル(姪)とお昼を食べにお祭りへ出掛けました。
豚汁、カレー、広島風焼きそば。
葉はつぎつぎ平らげていきます。
ソフトクリームまでペロリと食べてご機嫌でした。
おもちゃ売り場に置いてあったぬいぐるみの前でパチリ。

シャッターを押した瞬間は今もハッキリ覚えています。
これが元気な葉の最後の写真になるなどとは思いもしませんでした。

1時半頃お昼寝のために家に帰りました。
おでこが熱いのに気付きました。
熱は37度5分。
この日は日曜日です。
取りあえずお昼寝をさせて様子をみるつもりでしたが
起きたときには更に上がっていました。
38度3分。
でも食欲もあって元気。
おやつのバナナを食べさせた後
おととい姪(上の妹の娘)に処方されたお薬を飲ませました。
本当はいけないことだけど
お薬の種類を見たら葉も普段処方されているお薬だし
体重も彼女とあまり変わりません。
明日まで悪化しなければ何とかなる。
東京についたらすぐ小児科へ直行しよう。
そんな算段がありました。

葉は咳も出て身体も熱いけれど元気です。
走ったり笑ったり跳びはねたり。
でもこの時点で私たち親子は家族から隔離されていました。
妊娠中の妹に移らないように、です。
小さなライバルと遊びたいのにみんなが2人を離します。
葉はちょっと悲しそうでした。

お茶はいつもと同じように飲んでいました。
じいやんに初めての蒟蒻畑をもらいました。
「じやぁん、ありとー♪」
ピーチ味でした。
ママに小さくちぎってもらって食べました。
「おいしい?」
「おいしい♪」

夕方6時半過ぎ。
私と葉はミニカーで遊んでいました。
片足を立てた私の足の間をミニカーで行ったり来たり。
いつの間にか葉の息がはぁはぁ荒くなっています。
「苦しいねえ。大丈夫?」
ふと元気だった葉が
背後にあった机に少し疲れたように寄りかかりました。
そして
「ママ、抱っこ」
私の方にまっすぐやってきて座ったまま抱っこしました。
肩がぴくっと動きました。
あ、痙攣かも。
私は奥にいる家族に叫びました。
「誰か稲場先生に電話してっ!!!!!!!!」
事情を知らない家族はのんびりしています。
じいやんは既に委員会でお酒を飲まされて帰っていました。
妹は入浴中。
ばあやんは食事の支度でてんてこ舞い。
更に大声で叫びます。

7時。
電話で先生に葉の様子を説明し
日曜の時間外、強引でしたが気持ち良く診てもらうことになりました。
(痙攣止めさえもらえれば大丈夫)
私はまだ落ち着いていました。
でも葉の意識はほとんどありません。
目はうつろで上を向いています。
それでも息はしていました。

妹に車を出してもらい家を出たのが7時5分。
車が動いてすぐ葉の口から小さな泡がぶくぶくと出てきました。
と同時に食べたものを戻してしまいました。
妹は車を止めタオルを取りに帰ります。
私は汚物で気管が詰まらないように喉を開けました。
でも痙攣している葉の口は開きません。
渾身のチカラでこじ開け、
何も詰まっていないのを確認したたとき
葉の体重が異常に重く私にのしかかっているのに気づきました。
呼吸がありません。
直感で「まずい」そう思いました。
でも暗闇の中に助けを呼ぼうにも声が出ません。

携帯で119にかけました。
応急処置の方法を聞きたかったからです。
でも現在地点の確認をされるばかりでラチがあきません。
電話を切り、驚いて家を飛び出してきた父と妹に指示して
取りあえず稲葉先生の待っている小児科へ急ぎました。

ただの熱性痙攣だと思い
落ち着いて待ってくださっていた先生の顔色が変わりました。
「お母さん!もう一度救急車呼んでっ!」
ここへ来れば大丈夫だと思っていたのに
葉は目を覚ましません。
息がありません。
先生が胸を押します。
ぐぅっっぅ!
空気の音なのか何の音なのか.....
それでも息を吹き返してくれません。
自分が息をしているのが不思議でした。
全てがふわふわして引力が感じられません。
葉の名前を叫ぶ自分の声さえ宙を舞っています。

救急車が到着しました。
近くの総合病院へ搬送されます。
稲場先生も乗ってくださいました。
救急隊員が感謝の言葉を先生にかけたのを聞きました。

総合病院で葉は稲場先生と共に緊急処置質へ運ばれます。
私は書類にサインし廊下で待ちます。
私には看護師さんがひとりついてやさしく言葉をかけてくれます。
でも彼女の声は耳に入りません。
「お母さん、もう大丈夫ですよ」
そう呼ばれると信じて待っていました。
でもそのセリフを聞くことは出来ませんでした。

担当医はコンタクトのせいか睡眠不足か
目を真っ赤にした男性の先生。
名札で上勢という名の先生だとわかりました。
心臓だけは機械で動かすことに成功しました。
自発呼吸はしていません。
意識もありません。
髄液検査がここでは出来ないので近くの大学病院へ
準備ができ次第搬送します。とのこと。

この時点でようやくdada(夫)に電話を入れました。
私についてくれていた看護師さんが病院の電話を貸してくれました。
電話の向こうの声は動転して叫んでいます。

私たちは再度救急車で約1時間の大学病院へ向かいました。
救急車に乗るとき稲場先生が肩をたたいて声をかけてくれました。
「お母さん!がんばって!」
少し我に返りました。

救急車のサイレンと
心拍を示す機械の音と
恐ろしいくらいの無音の真っ暗な闇の中の高速道路。
私は必死で知っている限りのお祈りの言葉を唱えながら
堅く爪を食い込ませた両手を固く組んで助手席に座っていました。

大学病院に着き、葉はICU(集中治療室)へ。
私はまた書類を作成しサインします。

淡々と様々なものが準備されていきます。
家族の控え室もあります。

しばらくしてICUに呼ばれました。
「今夜が山です。」
ここにきても私は少し我慢すれば
すぐにでも...明日か明後日には帰れると思って信じていました。
それなのにもう一方では
何かが静かに音を押し殺しながら崩れてきているのを感じ始めていました。

じいやんとばあやんが後から車で追いかけてきてくれました。
上勢先生が誰か私についているように助言したからです。
この歳でこの時間帯にこの長距離は辛いはずです。
しかも日中はみんな忙しい1日でした。
疲れているのに申し訳ない。
私が思ったより落ち着いているということで
しばらくして帰っていきました。
それはそれで心配でした。

このとき「dadaは後先考えず車で家を飛び出したらしい」
という連絡を受けました。
どんなに飛ばしても5〜6時間はかかるでしょう。
事故を起こさないか、
心配が倍増し気が狂いそうな夜でした。


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コメント 12

本当はナイスなんて押すべきじゃないんだろうけど...
急変だったんですね。
by (2005-09-26 13:14) 

すいすえみ〜

私もいつもleafさんに、niceを押すのをためらいます。
だから読んでいるだけで、niceやコメントすら出来ない時も、
あります・・・。
でも、leafさんが辛いのを耐えているのを、頑張って欲しいと思い
niceを押します。
ちゃんと見届けるので、頑張ってください。
by すいすえみ〜 (2005-09-26 16:06) 

U3

 ごめんなさい。わたしはnice!を押す事が出来ません。これから先を読むのが今から辛く恐ろしい気がします。
by U3 (2005-09-26 16:35) 

azuki

私もnise!を押さないことにします。
全部読ませていただきましたが、胸が押しつぶされそうになります・・・。
これからも、葉クンのこと見届けますね。
by azuki (2005-09-26 17:02) 

yulala

leafさん・・・
お辛いでしょうが、私もちゃんと見届けます。。
by yulala (2005-09-26 18:50) 

mamaru

今日は仕事が朝から晩までぎっしりあったので、お昼休みにお邪魔して、それからしばらく頭の中が何も考えられないような状態になってしまいました。
こんなにも、こんなにも、急に訪れたことだったなんて・・・。
半日が経ってようやくコメントができるかな、と思ったんですが・・・、コメントにならない・・・。
つづられた言葉にあふれる、leafさんの届けたい気持ちに、胸がいっぱいです。
今日書いている記事をトラックバックさせていただこうと思います。
いのちの重さ。うまく言葉にできるかわからないのだけれど・・・。
by mamaru (2005-09-26 23:14) 

nako

★tanaka-ma3さん
★すいすえみ〜さん
★yulalaさん
nice! ありがとうございます。
おかげさまでnice!が100を超えました。
葉はnice! good! かっこいい! と褒められるのが大好き♪でした。
きっと大喜びだと思います。
ありがとうございます。

★ブラウンパパさん
★azukiさん
★mamaruさん
お心遣いありがとうございます。
重い気分にさせる内容で申し訳ないです。
でもこの日から葉は一生懸命がんばりました。
その事実をもう少し書き残していきたいと思います。

今年の26日は近所のママに一緒にいてもらいました。
夕方6時半から7時過ぎまで
ずっと葉を抱っこできました。
皆さんと近所のママに心からありがとう。
心配してmail や海外出張先から電話をくれた友人にもありがとう。
by nako (2005-09-27 01:17) 

そら

はじめまして。
つらい経験をされたのですね。
文章を読んでいて、涙があふれてきました。

leafさんの迅速な判断と行動、精一杯がんばったと思います。
ちいさな葉くんも、つらかっただろうに良くがんばりました。

葉くんはきっと天国で幸せに暮らして、大好きなママの事を見守っていてくれています。
by そら (2005-09-27 09:23) 

急変、としかいいようがないですね。
その後の対応は迅速だったのに・・・(涙)
by (2005-09-27 11:45) 

nako

★そらさん
はじめまして。
コメントをありがとうございます。

★ジャスミンさん
急変すぎました。
もっと猶予が欲しかった。
もっと手遅れになる前に時間を与えて欲しかったです。

追記です。
26日、dadaは仕事でした。
葉の大好きなminaswingの仕事でした。
葉の大好きな曲で始めたそうです。
良かったね。ヨウヨ。
by nako (2005-09-27 23:43) 

kobekko

目の前が見えなくなっちゃった・・・
ちょっと、今日はここまでにしますね・・・
普段はコンタクトをしているのでドライアイになってますが、
この記事を読んでる最中から止まりません。
でも、止める必要はないですもんね・・・
ヨウヨ、お兄ちゃん、泣き虫でごめんね・・・
ごめんね・・・
by kobekko (2006-01-07 19:35) 

nako

★ボニピンさん
自分でもね、この日のblogは今でも読みかえすのはきついんです。
私が書いたのにね。
でも私しかその場にいなかった。
あの数時間は本当に悪夢なんです。
by nako (2006-01-14 14:38) 

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