日本臨床死生学会講演 [小さないのち]
昨日12月15日
早稲田大学 西早稲田キャンパス 国際会議場井深ホールに行ってきました。
【死生学】と言って皆さんはすぐに何のことかわかるでしょうか。
現代社会は死をタブー視する社会です。
死生学は死を非日常的なものとして
これを遠ざけ恐れる現代社会に対して、
死に対する心構えという観点から改めて生の価値を問い直そう、という学問です。
また、死生学は死を個人だけの問題としてではなく、
取り残された家族など個人と個人の関係性において共有される重大な問題でもあります。
私は今までこのような学問を専門的に勉強したことはありません。
でも、子どもを亡くしてしまうという経験をしたことで
知らず知らずの間に毎日身をもって考えていることに気付かされます。
私はこの学会の会員でも何でもありませんが
今回、特別講演に小さないのち代表の坂下さんが講演されるというので
ちょっと出かけてきました。
「1.5人称の重さに向き合う/子どもの死が紡いだものもたらしたもの」
【1.5人称】というのは、坂下さんが創った造語だそうです。
私たちが愛する誰かを失いもがき苦しいと思うとき。
それは【2人称】の死です。
【3人称】の場合は、それほど強い苦しみはありません。
しかし、親にとって我が子の死は.....というと
それは親本人の死に大変近いものなのです。
人間の子どもは他の動物に比べ「生理的早産」と言われています。
特に乳幼児の死は別の個と思えぬほど自身に密着しているため
その感覚はより強い物となります。
すなわち【1人称】の死に近い。
そこで【1.5人称】という言葉を確信するように至ったとおっしゃっていました。
この講演の中で
坂下さんは、親にとって我が子とはどのような存在であり、
その子の死により親が何をよりどころに生きているのか。
ご自身の体験と私たち会員の言葉から伝えていらっしゃいました。
その例題の中には私が葉に対して感じたことも含まれていました。
また、例の戸籍の件についても例題に出してくださっていました。
講義を聴きにいらした皆さんに
子を失った親の気持ちが伝わっているといいのですが。
特別講演が終わり
その後のシンポジウム「病と共に生きる子どもたちと家族に向き合う」も拝聴してきました。
最近、特に今年は倫理について色々考えさせられることが多かったように思います。
きれい事では済まされない難しい内容です。
おそらく、いつになっても正しい答えは出せない問題なのではないか......
と感じるのですが
それでも
常にさまざまな意見交換がされていくことこそが大事なのだと感じました。
そしてその都度自分に問いかけていくことが
個々の自分に対しての答え探しになるような気がしています。
黙ってこらえるのが美徳みたいな
ところがありましたものね、、
やっと日本でも注目されるように
なったのでしょうか。
by Lucy (2007-12-16 20:22)
★ナーリーさん
nice!ありがとうございます。
★Lucyさん
さまざまな日本の歴史を振り返ると興味深いです。
日本での【死生学】
専門家だけの研究ではなく
もっともっと一般化されていく必要性を感じました。
by nako (2007-12-17 20:10)
我が家は男性漫画雑誌をいろいろ読んでいますが、その中に民俗学の宗像教授のお話(タイトルがわからない!)があるんです。
それを読んでいると、日本古来の伝説や神社にまつわる風習などは、みんな、この死生学の世界ですよね。
ある意味心理学とか、宗教学、倫理学、文学、法学など、全部の学問の、根源には、もしかしたら、人間の生と死の問題があるのかなーって思います。
私は、学生時代、あの図書館で学んでいたんです♪
地下の書庫にね、手塚治虫の漫画シリーズがあって・・・。
そういえば「火の鳥」も死生学ですよね。完璧に!
by mamaru (2007-12-21 19:53)